アバドと静寂の音  その10「復活」 2001年 ベートーヴェン交響曲集

アバドと静寂の音 
その10「復活」 2001年
ベートーヴェン交響曲集
 べルリン・フィル

「そして、帰ってきたとき、彼は別の人
になっていました。

死の淵に立った人間として私たちに
話しました「君たちが、私の命をつな
ぎとめた」と。
その瞬間から最後の数年の関係が
一変しました。
皆が愕然と悟ったのです。
この人は音楽がすべてなのだと。
他ならぬ我々と音楽することがすべ
てなのだと。」
ベルリンフィルのメンバーの証言です。
胃癌の手術の後、数週間の休みの
あと復帰したアバドは、すっかり痩せ
て一まわり小さくなっていました。
けれど眼の輝きは増し、音楽への情
熱はあせるどころかより色濃くエネル
ギーを発散させます。
力の抜けた指揮の姿もよりエレガンス
なものとなりました。
このベートーヴェンのライブ録音での
交響曲全集は、アバド退任の1年前
のもので、彼らの結びつきと音楽成
果のなかでも最高のもののひとつです。
会場は本拠地のベルリンフィルハー
モニカが改修中のため、ローマにあ
る劇場です。
伝統を感じさせる美しい建物ですが、
ベルリンに比べるとずいぶんと小さな
ものです。
そしてアバドはオーケストラの人数を
通常よりずっと絞り込み、ベートー
ヴェンが作曲した当時のものに近づ
けました。
大きな音量や技術を誇示するといった
見世物的な要素はまったくありません。
アバドらしい知性に裏付けられた合理
的かつ革新性をこめた選択です。
真摯に紡がれた音が歌い継がれ切
実に次の音を求めます。
アバドだけでなく、メンバーのひとりひ
とりの波動が次の波を生み、より増幅
して次に渡っていきます。
一瞬もとどまることなく流動しているの
に、どこにも力みがなく、涼やかです。
有名な第5交響曲「運命」では、もった
いぶった大げさな表情がまったくあり
ません。
今まさにここに生まれたような新鮮さと、
今ここに生きる切実さに打たれます。
「田園」と呼ばれる第6交響曲は、表題
の通り風景の描写が多くありますが、
アバドは風景を追ったり、感情を増幅
したりせず、淡々と美しく歩をすすめ
ます。
しかしその音が私たちの胸に入るとき、
音は新たな波となって内をみたし、自
然の一部となっている自身を感じます。
さり気ないのに本質を捉えて離さない、
水墨画の名画を見るようです。
私がベートーヴェンのメロディーでもっ
とも好きなのが7番の第2楽章です。
深い森をさまよい、美しいものに触れ、
不思議なものに出会うようです。
アバドの音はファンタジーそのものです。
9曲のベートーヴェンの交響曲を一気
にライブで録音する病み上がりのアバ
ドの気力に驚かされます。
アバドが求め、追及してきたものが、
病気を経て、結実しました。
「価値のあるもの、意味のあるものが
自分の内にあり、それを音楽で表現
しようとしていました。」とアバドは語っ
ています。
情熱と信念を内に秘めていました。
それが病気の後、自分への執着を捨
てて堰を切ったように一気に流れ出ま
す。
「最近気づいたのですが、多く与え
れば、得るものも大きい。
多くを学びました。
病気も悪いことだけではありません。
今は、すべてが違ってみえます。」
ベルリンフィルもともに変わりました。
独裁によって自己を隠して能率を求
めた経済的音楽から、「互いに聴きあ
う、共に音楽するという文化」に脱皮
しました。
アバドは新しい種を撒き、芽吹かせ、
花を咲かせました。
けれどそれはまた、新しい一歩の始
まりでもあります。
病と老いを超えて、探求は続きます。