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アバドと静寂の音  その10「復活」 2001年 ベートーヴェン交響曲集

アバドと静寂の音 
その10「復活」 2001年
ベートーヴェン交響曲集
 べルリン・フィル

「そして、帰ってきたとき、彼は別の人
になっていました。

死の淵に立った人間として私たちに
話しました「君たちが、私の命をつな
ぎとめた」と。
その瞬間から最後の数年の関係が
一変しました。
皆が愕然と悟ったのです。
この人は音楽がすべてなのだと。
他ならぬ我々と音楽することがすべ
てなのだと。」
ベルリンフィルのメンバーの証言です。
胃癌の手術の後、数週間の休みの
あと復帰したアバドは、すっかり痩せ
て一まわり小さくなっていました。
けれど眼の輝きは増し、音楽への情
熱はあせるどころかより色濃くエネル
ギーを発散させます。
力の抜けた指揮の姿もよりエレガンス
なものとなりました。
このベートーヴェンのライブ録音での
交響曲全集は、アバド退任の1年前
のもので、彼らの結びつきと音楽成
果のなかでも最高のもののひとつです。
会場は本拠地のベルリンフィルハー
モニカが改修中のため、ローマにあ
る劇場です。
伝統を感じさせる美しい建物ですが、
ベルリンに比べるとずいぶんと小さな
ものです。
そしてアバドはオーケストラの人数を
通常よりずっと絞り込み、ベートー
ヴェンが作曲した当時のものに近づ
けました。
大きな音量や技術を誇示するといった
見世物的な要素はまったくありません。
アバドらしい知性に裏付けられた合理
的かつ革新性をこめた選択です。
真摯に紡がれた音が歌い継がれ切
実に次の音を求めます。
アバドだけでなく、メンバーのひとりひ
とりの波動が次の波を生み、より増幅
して次に渡っていきます。
一瞬もとどまることなく流動しているの
に、どこにも力みがなく、涼やかです。
有名な第5交響曲「運命」では、もった
いぶった大げさな表情がまったくあり
ません。
今まさにここに生まれたような新鮮さと、
今ここに生きる切実さに打たれます。
「田園」と呼ばれる第6交響曲は、表題
の通り風景の描写が多くありますが、
アバドは風景を追ったり、感情を増幅
したりせず、淡々と美しく歩をすすめ
ます。
しかしその音が私たちの胸に入るとき、
音は新たな波となって内をみたし、自
然の一部となっている自身を感じます。
さり気ないのに本質を捉えて離さない、
水墨画の名画を見るようです。
私がベートーヴェンのメロディーでもっ
とも好きなのが7番の第2楽章です。
深い森をさまよい、美しいものに触れ、
不思議なものに出会うようです。
アバドの音はファンタジーそのものです。
9曲のベートーヴェンの交響曲を一気
にライブで録音する病み上がりのアバ
ドの気力に驚かされます。
アバドが求め、追及してきたものが、
病気を経て、結実しました。
「価値のあるもの、意味のあるものが
自分の内にあり、それを音楽で表現
しようとしていました。」とアバドは語っ
ています。
情熱と信念を内に秘めていました。
それが病気の後、自分への執着を捨
てて堰を切ったように一気に流れ出ま
す。
「最近気づいたのですが、多く与え
れば、得るものも大きい。
多くを学びました。
病気も悪いことだけではありません。
今は、すべてが違ってみえます。」
ベルリンフィルもともに変わりました。
独裁によって自己を隠して能率を求
めた経済的音楽から、「互いに聴きあ
う、共に音楽するという文化」に脱皮
しました。
アバドは新しい種を撒き、芽吹かせ、
花を咲かせました。
けれどそれはまた、新しい一歩の始
まりでもあります。
病と老いを超えて、探求は続きます。

アバドと静寂の音  その9「カオスとひそかな成功」  モーツァルト交響曲第36番「リンツ」

アバドと静寂の音 
その9「カオスとひそかな成功」 1994年
モーツァルト交響曲第36番「リンツ」
 べルリン・フィル

「アバドはわざとカオスを作っていたと
思います」
あるインタビューに答えたベルリンフィ
ルのメンバーの証言です。
アバドのリハーサルにオーケストラのメ
ンバーたちは戸惑いました。
言葉はあまり発せず、手と棒と目で指
示をだし、時折黙り込んで自分の世界
に入ります。
オーケストラの絶対君主である指揮者
はふつう間違いも認めず、自信たっぷ
りに振るまいます。
さらにアバドは「まわりの演奏を、よく聴
くように」とか「指示をまたないで」などと
いうのです。
前任者のカラヤンの下、独裁によって
大音量で鉄壁のアンサンブルを誇って
いたベルリンフィルにとっては考えられ
ない状況です。
混乱に包まれますが、アバドはあくまで
一糸乱れぬアンサンブルより、内省的
で微妙にうつろうひとりひとりの熱意や
ひらめきが感じられる室内楽的な音を
求めました。
当初は戸惑っていたメンバーたちです
が、世代交代による入れ替えもすすむ
うち、その意図を理解していきます。
オーケストラ内での室内楽アンサンブ
ルも増えていきました。
この「リンツ」はその成果があらわれた、
とても地味だけれど隠された成功とい
えるものでした。
第一楽章はゆったりとした序章の後、
草原を渡る風のように爽やかで、軽や
かな表情が清々しく、翼をえた感性が
羽ばたきます。
第2楽章は転調を繰り返しながら、微妙
にうつろう内面の世界が展開し、怒り
以外のあらゆる感情がたゆたいます。
スキップするような楽しい第3楽章の後、
第4楽章では優雅さと力強さが両立し
た胸のすく解放感にいたります。
アバドにとっても、ここまでやっと来たと
いう達成感があったでしょう。
天上の調べのような完全な美しさのあ
る演奏に欠点があるとしたら、人間の持
つ痛み感性のおりが感じられないこと
でしょうか。
この演奏を聴いてから過去の名演奏と
いわれているもの、例えばシューリヒト
が指揮したものを聴いてみると、とても
古く、鈍く感じてしまいます。
一見、すっきりとして穏やかに感じるア
バドの演奏には、覚醒し不純や曖昧を
許さない厳しさが潜んでいます。
その厳しさは自身にも向けられ、矛盾
や葛藤を浮き彫りにします。
音楽によって自分を主張するのとは
対照的に、自分を抑えて純粋な音楽
の美しさを求めています。
それが自己消滅という自己主張にまで
至り、指揮することさえ否定しようとして
いるようです。
すぐれた演奏であるのに多くの人の支
持をえられないのは、そうした自らまで
傷つける棘を潜ませているからでしょう。
微妙な表情を求め、力づくでの盛り上
がりに背を向けた演奏は「無気力に流
す悪い癖」「何も新しいことに取り組ま
ない」などという評価も与えられました。
モーツァルトの交響曲の録音もこの曲
で打ち切りとなりました。
無理解の中に身をおいていたのです。
私自身もこのころのアバドを、横綱相撲
をとろうとして勢いをなくしているのかと
思っていたので、世を責める資格はあ
りません。
アバドがいくら強い意志を持ち、天才
ではあっても、やはり人間です。
何度も胃潰瘍になったと、後に述べて
います。
達成感はありながらも、疲労とストレス
は蓄積していきます。
しばらくしてベルリンフィルとの契約を
延長しないという発表がありました。
それまでカラヤンやフルトヴェングラー
など前任者たちはすべて終身指揮者
で、死ぬまで責を務めました。
辞任が見つかった胃がんのためなの
か、他にやるべきことを見つけたのか
はわかりません。
そして大きな変化が訪れます。

アバドと静寂の音  その8「精神の要求」 1967&1981年 ブラームス・セレナーデ1&2番

アバドと静寂の音 
その8「精神の要求」 1967&1981年
ブラームス・セレナーデ1&2番
アバド指揮 べルリン・フィル

地味で渋い印象のあるブラームスの
曲たちですが,その中でもこのセレナ
ーデは特に目立たないものでしょう。
まだ交響曲などの大作に取り組む前
の若きブラームスは,公爵家に招か
れて毎年秋に美しい森に囲まれた別
荘で過ごしていました。
恵まれた環境の中,健やかで伸びや
かな心情を反映した幸福な音たちで
す。
ブラームスの青春の歌とでも言うべき
感情の飛翔があり,渋く重々しい後年
のイメージとは違う柔らかな表情です。
あまり取りくむ人が多くないこの曲を,
アバドは何度か録音しています。
穏やかで,微妙なニュアンスが明滅
する,センシティブな曲をアバドは好
んでいたのでしょう。
アバドの世の評価が固まったのは,
1965年のザルツブルク音楽祭での
演奏からでした。
カラヤンに招かれ指揮をしたのです
が,その時にマーラーの「復活」を演
目に選びました。
カラヤンからは「オーケストラが曲に
慣れていないし,観客にも受け入れ
られない」と反対されたのですが,そ
れを押し切ってとりあげました。
出来は素晴らしく「世を震撼させた」
と評されました。
若々しく最もエキサイティングな指揮
者として認められたのです。
こうした後,普通なら交響曲等の派手
な効果のあるを録音したがるものです
が,地味な曲を選ぶのはいかにもア
バドらしいといえます。
アダージョ楽章の静謐な透明感など
での精神性の高い安らぎが,私たち
の胸に迫り,暖かく柔らかいものが
あふれでます。
アバドの指揮はとても優雅です。
無駄な動きがまったくなく,なめらか
ですが,決して機械的ではなく,音楽
の流れと一体化しています。
振り下ろされる右手のタクト(指揮棒)
で正確なリズムを与え,左手の微妙
な動きで表情を導きます。
ベルリンフィルの前任者のカラヤンも
振り下ろしたタクトの下端でリズムを
指示するタイプでした。
けれどほとんどの動きを上下動だけ
ですませました。
眼を瞑り,振り下ろした瞬間に大きな
美しく磨かれた音が壮麗に鳴り響く,
視覚的演奏効果を求めたものでした。
またコントラバスなどの低音楽器には
ほんの少し早く音を出すことを要求し,
意識的にドイツの重い音を作り上げて
いきました。
その前任でアバドの憧れの人でもあ
ったフルトヴェングラーの指揮はとて
もユニークなものでした。
ブルブルと震えているようでもあり,マ
リオネットのように天から操られてるよ
うでもありました。
ベルリンフィルが他の指揮者で練習
していると,突然に音がよくなりました。
気がつくとフルトヴェングラーが戸口
に立って演奏を聴いています。
そこにいるだけでオーケストラの音を
変えてしまうオーラを持っていました。
楽員は必死にその意図を読み取ろう
と,心がこもり,気合の入った音を出し
ます。
音はタクトが上がる時にはじめられ,
音楽が立ち昇ります。
微妙なずれやゆらぎが独特のニュア
ンスを醸し出し,一瞬も同じ音はあり
ません。
新しい音は次の新たな表情を生み出
し,音楽は有機生命体のように自らの
求めるところで流動しながら,深い意
味が与えられます。
精神の同調と共鳴で直接何かが伝わ
る瞬間です。
カラヤンはフルトヴェングラーの音を
求めましたが,それは外の形だけで
した。
楽員の自主性や表情の移ろいを消し
去り,絶対君主として厳しい規律の
元,アンサンブルが揃った強く,明晰
な音楽を提供しました。
フルトヴェングラーは精神や魂に訴え
て存在すべてに鳴り響く音を求めたも
のと対照的にきわめて現世的でした。
アバドの指揮は正確で,美しく,その
技術はだれにも負けないものでした。
けれどそれによって得られる整った
アンサンブルや熱狂的な興奮はアバ
ドにとって目標でも,自己表現の手
段でもありませんでした。
音の微妙なニュアンスやひそかで心
のこもった表現を目指します。
それは形ではなく,フルトヴェングラー
の精神を引き継ごうとする気の遠くな
るような遠い道のりの作業です。
全体として整ったアンサンブルと,微
妙で切実な内的な世界の表出をスー
パーオーケストラで同時に実現する
という,誰もやったことのない次元が
その舞台です。
アバドにはそれらを両立するという
強い信念がありました。

アバドと静寂の音  その7「ある頂点」 1990年 ブラームス交響曲第3番

アバドと静寂の音 
その7「ある頂点」 1990年
ブラームス交響曲第3番
アバド指揮 べルリン・フィル

ベルリンの壁が崩壊した年に、アバド
はベルリン・フィルハーモニーの音楽
監督に就任しました.
ベルリン・フィルは世界の頂点にたつ
オーケストラであり、アバドの憧れの
人であったフルトヴェングラーの楽器
でもありました.
きわめて良好な関係を保ち、数々の
名演奏を残してきたロンドン交響楽団
との関係を断ち切っての決断は、よほ
どの強い意思によって導かれたもの
でしょう.
以後二度とロンドン交響楽団には戻
りませんでした.
気配りを怠らず,関係を持続させる
アバドには異例な決別です.
ドイツの伝統を体現するベルリン・フィ
ルの音は厚く、重く、輝かしく、一糸
乱れぬアンサンブルで聴くものを圧
倒します.
1954年まで指揮したフルトベングラー
の音は、ドイツの暗く深い森から届く
ファンタジーのようでした.
同じ曲が毎日違うように響き、ひとつ
の音がまた次のひとつの音に変化と
意味を与え、有機的生命体が自在
に変化していくようでした.
ロマン主義を体現し守る者として大戦
中も国内にとどまり、ドイツの精神を維
持しようとしましたが、それは当然ヒッ
トラーに利用され、国の守護者として
一身に尊敬を集めました.
戦後は批判を受けましたが復帰し、
本人は自分に非があったとはまったく
自覚していませんでした.
政治は芸術を支えるためにあると信じ
ていたのです.
フルトベングラー後を継いだカラヤン
は、フルトベングラーのライバルとみな
されていたトスカニーニの明晰な表現
とフルトベングラーの重い音の両立を
めざしました.
大きな音量と美しい音色で、多くの人
を圧倒し、良質のサウンドを世界に提
供し続け帝王となりました.
メディアや映像、最新の技術も次々
に利用し、商業的にも大きな成功を
収めます.
美しく流線的に磨かれた音はクラシッ
クにも親しまない大衆にも支持されま
した.
しかし自身の個性や嗜好より、支持さ
れることを優先する音楽は深みに欠
けたものとなりました.
絶対君主としての立場も崩さなかった
ために、晩年はベルリン・フィルとの
関係は悪化しました.
その後、楽団員による民主的な選挙
で選ばれたのがアバドでした.
このブラームスは就任直前のもので、
まだ残っているカラヤンの輝かしい音
と、フルトベングラーの夢幻的で漂う
ような流動性、そしてアバドの若々し
く覇気のある感性があいまってとても
素晴らしい演奏となっています.
ベルリン・フィルの各時代のよいところ
をすべて持っているようです.
まだ完全には気心が知れていない
ベルリン・フィルを相手に、抜群のバ
トン・テクニックと鋭い感性を惜しげも
なくまき散らし、音楽への情熱の渦に
オーケストラをまき込みます.
本拠地ベルリン・フィルハーモニカの
すぐ傍にあったベルリンの壁も取り除
かれ、新しい時代の幕開けを宣言す
るものとなりました.
民主主義の勝利を象徴するものだっ
たのです.
オーケストラのメンバーだけでなく、
ベルリンの市民、ドイツの国民すべて
が期待と悦びをもって就任を祝いまし
た.
けれどアバドはこの路線をあえて外れ
ていきます.
多くの人の期待に答え、多くの人の
支持を受けるよりは、アバドにはどうし
ても達成したいものがあったのです.
試行と葛藤の道の始まりでした.

アバドと静寂の音  その6「革新と求心」  ストラビンスキー「春の祭典」

アバドと静寂の音 
その6「革新と求心」 1975年
ストラビンスキー「春の祭典」
アバド指揮 ロンドン交響楽団 

音楽に何を求めるかは、その人によ
って違います。
音楽は感覚と知性に支えられた精
神という働きを反映しています。
生まれつきの体質や育ち方、価値観、
その時の気分や天候でも音楽に求め
るものは変化します。
変わらないものの中で大きく二つの
傾向に分かれるのが、突き詰めて新
しい意味を見いだそうとするか、全体
の調和を重んじて今ここにある意味を
楽しむ音楽を求めるかという違いです。
どちらが欠けても音楽はなりたちませ
んが、人によってその均衡はまちまち
です.
アバドはいつも新しい意味を求めて
いました。
真実はどこかにあるはずだという信念
を持って音楽に立ち向かっていました.
そんなアバドの姿勢がはっきりと感じ
られるのがストラビンスキーが作曲し
た「春の祭典」です。
バレエのための音楽として1913年に
発表された初演は20世紀の新しい
音楽の登場として大きな話題となり
ました。
聴衆の中にはサン・サーンスやドビッ
シー、ラヴェルまでもいた演奏会は、
世の中で注目されていました.
けれど、拍手だけでなく怒号や罵声、
野次が飛び交い、怒鳴りあいから殴
りあいにまでなりました。
劇の内容は、春の訪れとともに神へ
の感謝のための生贄が選ばれます。
選ばれた女性は名誉と喜びの至福の
うちに踊り始め、車座になった村人の
中で絶頂に至って命が絶えるというも
のです。
原始的な雰囲気の中、複雑で荒々し
い変則的なリズムと激しい不協和音
が絡み合い、音楽の力が感性をぎり
ぎりの部分に追い詰めます。
その当時の革新であり、最先端でし
たが、現代でもここまで徹底した音楽
はそう多くありません。
多くの指揮者が越えなければならな
い山として挑みます.
知性や革新性に光をあてた暴力的と
いってもいいような演奏も多くあります
が、アバドは決して感覚的な美しさや
音楽が身体を通り過ぎる快感を失い
ません。
また感情に流された雰囲気だけのい
い加減さにも陥りません。
感覚も知性も充たしながら新しい世界
を垣間見るスリルにあふれた演奏をし
ます。
アバドの一世代後にサイモン・ラトル
というとても音楽的才能にあふれた
指揮者がいます。
アバドの後を継いでベルリン・フィル
の常任指揮者となっています。
元々ピエール・ブーレーズという現代
音楽の作曲家の第一人者の弟子で
あり、最近ベルリン・フィルと「春の祭
典」の録音もしています。
精緻で感覚的な美しさと知性をあわ
せもったアプローチはアバドと共通
のものがあります。
しかし演奏の印象は驚くほど違いま
す。
ラトルの音楽は聴いているとワクワク
と楽しくなります。
精霊の末裔が明るい森で生き生きと
躍動しているようです。
それに比べるとアバドは美しくはあっ
ても、緊迫感が持続します。
人の子として今の時代を生きるものが、
太古の森を探索しているようです。
闇の中にうごめき、月の光に照らされ
たものが躍動します.
この音楽を体現しているという意味で
はラトルの方が先をいっているかもし
れません。
けれど聴いた後に印象に残り、また
聴きたくなるのはアバドの方なのです。
こうした理屈では割り切れない部分に
音楽の面白さがあります。
この時点ではアバドは探索する者、
冒険者として音楽に立ち向かってい
ます。
常に冒険を続け、内なる世界を探索
していたアバドは、その厳しさゆえに
他人をよせつけないものを持っています.
その一方で若い演奏家たちとの共演
を好み、様々な支援もしていました.
労働者や学生のために音楽を聴く機
会を作る労力もおしみませんでした.
清新に、純粋に音楽に立ち向かうこ
とだけが、アバドのすべてだったので
す.

アバドと静寂の音  その5「男としてのアバド」 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲1番」

アバドと静寂の音 
その5「男としてのアバド」 1985年
チャイコフスキー「ピアノ協奏曲1番」
アバド指揮 シカゴ交響楽団 

ピアノ イーヴォ・ポゴレリチ
男性より女性に支持されることが多い
作曲家といえばショパンやリストととも
にチャイコフスキーがあげられるでし
ょう。
音楽の構造や精神性よりも、感情の
起伏や共感、情熱的直感が先にあ
ります。
アバドの指揮するチャイコフスキーは
とても情感にあふれ、感情の大きな
振幅がありながら、上品さや奥ゆかし
さが失われず、若いときから大きく評
価されていました。
けれど少なからず外れた録音が残さ
れています。
ポゴレリチという現代で最も個性的な
ピアニストと共演したチャイコフスキー
のピアノ協奏曲第1番です。
ポゴレリチはショパンコンクールの予
選で落選したことから一躍有名にな
りました。
桁外れの個性ゆえ落とされたのです
が、その時審査員をしていた、これも
また個性の強烈さでは誰にも負けな
いマルタ・アルゲリッチというピアニス
トが抗議の意思を示して審査員を降
りて退席してしまいました。
そのニュースは瞬くまに世界に広がり
一夜にしてスーパースターとなりまし
た。
鋭く切れ込む感性と存在の深いとこ
ろを覗き込むような底知れなさ、抜群
のテクニックと感性を開放しながら常
に悠然と構えるある種のふてぶてしさ、
そして若くハンサムな外見など、スタ
ーに必要な物はすべてそなえていま
す。
しかしとても慎重でもあり、コンサート
や録音には万全の準備をしてのぞみ
ます。
そのため残されている記録はとても
少なく、特に協奏曲はアバドとやった
このチャイコフスキーとショパンの第
2協奏曲のみです。
アバドにたくせるものがあったのでしょ
う。
しかしここでのアバドはいつもと違い
ます。
強い音を嫌うアバドが冒頭から激しい
音で存在を誇示します。
俺はこうだ、さあどうだという感じです。
それに対してポゴレリチはあえて押さ
えて粒の揃った音でゆったりと応じま
す。
それは歳を経た巨匠のようなゆとりの
表情ではなく、新しい世界に踏み込
む若き狩人の己の力を信じた迷いの
ない足取りです。
けれどアバドも手は緩めません。
前のめりのフレージングと世界屈指
の明晰で張りのある音色をもつシカゴ
交響楽団の音をふりしぼって昇りつめ
ます。
そして最後にはポゴレリチも力を出し
きり、ぎりぎりの強さと速さで頂点に
いたります。
チャイコフスキーの粘るような感性は
感じられませんが、感情の振幅の大
きさやスリリングな展開など、これ以
上はありえないと思えるような面白さ
です。
そして普段は自分の感性を表に出そ
うとしないアバドが珍しく衝動をむき
出しにしているというのにもとても興
味をそそられます。
若き天才を前に、奮い立ち、ライバル
心を燃やしたのか、この男ならこの感
性の表出に耐えられると思ったのか
は分かりません。
男としてのアバドの主張が強く感じら
れます。
後にベルリンフィルの音楽監督になっ
てからのエピソードが伝えられてい
ます。
ベルリンフィルの控え室には卓球の
台があるのだそうです。
ある団員がインタビューに応じて、
「アバドはいつも勝ちました。それは
彼が卓球が上手かったからではあり
ません。彼はポリーニと組もうとしなか
ったのです。彼はポリーニが卓球が
下手なのを知っていました。」と笑い
ながら答えました。
ポリーニはこれまた世界最高のピア
ニストのひとりでアバドとは同郷で大
の親友でもあり、共演も多くあります。
気晴らしの卓球のダブルスでの試合
でしたが、その親友を見捨てて、ア
バドは勝ちに走りました。
表面の穏やかさと裏腹の勝負に執着
するアバドの男の部分が垣間見られ
ます。
また誰にでも親切で気を使う半面、
とてもシリアスで強烈な皮肉屋でもあ
りました。
ただぼうっとしてのんびりしていたわ
けではありません。
他人の中に多くを感じ、自分の中の
衝動も強く見つめながらも、それを前
面には出そうとしなかったのです。
アバドにはもっと大切なもの、表現す
べきものがあったのですが、男として
強烈な求心性がそれを陰で支えて
いたことは間違いないでしょう。

アバドと静寂の音  その4「ファンタジー」  メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」

アバドと静寂の音 
その4「ファンタジー」 1983年
メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」他
アバド指揮 ロンドン交響楽団 

ファンタジーは幻想文学とも訳され
ます。
現実ではない架空のもうひとつの世
界の物語です。
妖精や魔法、不思議な生き物が登
場し、生き生きと活躍します。
善いものと悪しきものの争いがあり、
試練や葛藤を通じて登場人物は成
長し、新しい世界を拓きます。
現実の世界は利害が複雑に絡み合
い何が正しいのか判断ができません。
そんな世の物語は過剰に刺激的で、
一瞬のカタルシスしか得られません。
ファンタジーは現実ではないけれど、
真実を語るものとして本質を抽象し
たエッセンスであり、魂という触れる
ことのできない炎を育みます。
魂の炎が尽きると、人は生きている
意味を失ってしまいます。
ファンタジーは文学だけでなく、音楽
などの芸術にも含まれています。
内なる世界が息づき、想像の翼が
広がって自由に世界を駆けめぐる
のに素敵な音楽は欠かかすことは
できせません。
そんなファンタジーをもっとも感じる
作曲家のひとりにメンデルスゾーン
があげられるでしょう。
「真夏の夜の夢」をはじめ、「イタリア
」「スコットランド」「フィンガルの洞窟
」「無言歌の舟歌」など、情景を感じ
させながらそれにとどまらず、胸に
迫る情感と知的な飛躍があります。
ファンタジーの感覚そのものです。
けれど西欧ではあまり評価が高くな
いのだそうです。
バッハやモーツァルトなどの古典の
均整のとれた美しさを愛して世に広
め、同時代の作曲家たちをあまり評
価しなかったため、批判にさらされ
たためもあるでしょう。
またキリスト教徒でしたがユダヤ人で
あったための偏見と迫害もありました。
アバドはメンデルスゾーンの交響曲
の全曲を録音し、その音楽の魅力を
広めていました。
「彼には妖精が見えるんだ」と言わ
れるアバドは幼いころからファンタジ
ーに親しみました。
お母さんは絵本作家でもあり、いつ
も物語を聴かせてくれました。
壁紙の絵の動物たちが動き出して
話し、いつのまにか森に迷い込んで
しまうような世界が心の奥底にあり、
アバドの存在を支えています。
「私は非常にシャイで、いつもぼんや
りしていました。今でもそうですがね。
幼い頃の思いではぼんやりとかすん
でいて、あの頃を思い出そうとしても、
空想だったのか現実だったのかの区
別がつきません。・・・思い起こせば、
私の寝室には動物絵柄の壁紙が貼
ってあり、眠りに落ちる前に長いこと
それを見つめ・・・母の物語の登場人
物を想像していると、壁の小さな動物
たちが友達になり、一緒に遊んでく
れるのでした。」(ヘレナ・マテオプー
ロスによるインタビューより)
人間への信頼、芸術への献身、より
美しいものへの憧れが変わらずに
あります。
おだやかで他人を惹きこむ笑顔は
作り物ではなく、心の内底からのも
のです。
メンデルスゾーンも若いときから才能
を発揮し、この妖精が躍動するよう
な繊細なワクワク感がいっぱいの「
真夏の夜の夢序曲」を作曲したのは
16歳の時でした。
後年楽譜を紛失し演奏会用に急遽
書いたのですが、後ででてきた元の
楽譜とほとんど同じものだったという
完璧な音楽的記憶力を持っていま
した。
詩や文章にも長じ、水彩画もプロ並
で、語学もドイツ語だけでなくラテン
語、仏語、英語、伊語も自由にこな
したそうです。
世界最古のオーケストラ、ゲヴァント
ハウス管弦楽団を創設し、バッハの
「マタイ受難曲」、シューベルトの「グ
レート交響曲」など忘れられた曲を
再演し復興させました。
当時は古い音楽を演奏する習慣が
なかったそうですが、演奏会の新し
い形式と慣習を作った革新的な姿勢
もあります。
反面ベルリオーズやリストとは肌が
あわず保守的と批判されました。
メンデルスゾーンは外面的には穏や
かな人でしたが、芯が強く決して自
分の好みを曲げませんでした。
内なる声に常に耳を傾け、魂のある
場所を理解していたのでしょう。
魂の感覚は多くの人と共有するのは
難しいものですが、理解できる人に
はこれほど親しいものはありません。
アバドはメンデルスゾーンに共感す
るものがあったに違いありません。
ここには他の誰にもできない、繊細
に息づき心よりももっと深い部分を揺
さぶる力が感じられます。

アバドと静寂の音その3「孤独な魂」 ムソルグスキー管弦楽作品集

アバドと静寂の音その3「孤独な魂」
ムソルグスキー管弦楽作品集1980年
アバド指揮 ロンドン交響楽団 

ムソルグスキーの作った曲でまず私
たちが思い出すのは「展覧会の絵」
でしょうか。
元はピアノのための曲ですが、それ
をラヴェルがオーケストラのために
編曲しました。
洗練された美しさと透明感のある高
揚がありますが、八割くらいはラヴェ
ル作曲といってもいいでしょう。
ムソルグスキーの個性はあまり感じら
れません。
「はげ山の一夜」も有名ですが、こち
らはゴツゴツとして、粗野で、直情的
です。
目がギロッとして、髪はボサボサ、
洞窟からでてきたトロルのようなイメ
ージのムソルグスキーにぴったりです。
ロシア五人組の一人として、それな
りに名の通ったムソルグスキーです
が、完成された曲はごくわずかです。
世の中とのかかわりも厳しいものがあ
ったようで、貧困の中、42歳で亡くな
りました。
元は地主階級の出身なのでしたが、
農地解放で没落しました。
けれどいつも民衆の側に立ち、音楽
も五人の中でもっとも民族的でした。
世間だけでなく、音楽仲間にも認
められないやり場のない感情は鬱
積し、強いアルコール依存症で寿
命を縮めました。
嵐の中にひとり立つような孤独でや
るせない魂の叫びが聴こえてくるよう
です。
けれどアバドが指揮したこのアルバ
ムからは、一般の演奏にあるギラギ
ラした屈折したものが感じられません。
しかし洗練され、研かれて骨抜きに
なってているわけでもありません。
素朴なフレーズひとつひとつに命が
吹き込まれ、今生まれたように息づき
ます。
不平不満の爆発でなく、生きる証し
としての切実な響きがあります。
アバドがムソルグスキーに深い共感
を感じているに違いありません。
ウィーンで指揮を学んだときの最後
の課題にムソルグスキーを選びました。
後年ベルリンフィルの音楽監督とな
ってさまざまな試みを企画しましたが、
その中に「ヘルダーリンに関する音
楽」というものがありました。
ヘルダーリンは18世紀のドイツ人で、
狂気のために塔に幽閉された詩人
として有名です。
とても読書家だったアバドはヘルダ
ーリンを好んでいました。
均整のとれた美しさや明晰さからは
はるかに遠い、ドイツの黒い森の奥
に分け入って神と歴史を心に宿すよ
うなロマンが感じられます。
何事も順調で、すべてを手に入れ
ているように見えるアバドですが、そ
の奥底には何かに魅せられ、今の現
実には決して充たされることなくつき
詰め続ける孤独な魂があります。
責任や名誉、物の豊かさや周囲との
つきあいなど現実の多様さに流され、
魂を腐らせると生きている意味を失い
ます。
そうして音楽の力を失っていった音
楽家も多くいます。
社会では認められることのなかった
ムソルグスキーですが、何人かの天
才を引き寄せています。
ラヴェル以外にも多くの音楽家が曲
に魅力を感じて編曲しています。
この肖像画は当時のロシアを代表す
る画家イリア・レーピンが死の床にあ
るムソルグスキーを描いたものです。
多くの人には理解されませんでした
が、魂の同調は存在の一番深いとこ
ろでつながることを知る人たちを惹き
つけます。
アバドも決してこの感覚を忘れませ
んでした。
わがままな人は自分を謙虚であると
主張しますし、謙虚な人は自らをわ
がままと思います。
アバドも内なる闇や荒々しい欲求を
見据えていたことでしょう。
眼をそらさずにずっと向かい続ける
のには根気ある勇気と大きなエネル
ギーが必要です。
この演奏からアバドの内面の声が
聴こえてくるような気がするのです。

アバドと静寂の音その2「クラウディオ!」 ロッシーニ序曲集1978年

アバドと静寂の音その2「クラウディオ!」
ロッシーニ序曲集1978年
アバド指揮 ロンドン交響楽団
 
ロッシーニはかつてヨーロッパ中を
席巻した作曲家でした。
テレビもラジオも映画もない時代、オ
ペラは何よりのエンターテイメントと
して庶民の楽しみでした。
見かけも美しく、社交家で、美食家。
健全で、前向きな感性を持っていた
ロッシーニは、今の時代で言えばビ
ートルズとエルビス・プレスリーを一
人でやっているようなものだったでし
ょう。
一般大衆ばかりではありません。
べートーベンは高く評価しながらも
自分より人気があるのを嘆き、ワーグ
ナーはああなりたいと憧れ、ベルリオ
ーズは神の作った音楽と讃えました。
その当時の最先端の現代音楽であ
り、高度なポップミュージックでもあっ
たわけです。
しかしメディアや記録媒体のない当
時は、作曲者の死とともに人気も一
気に廃れていきます。
いつの間にか「セビリアの理髪師」と
「ウイリアム・テル」を残した一発屋の
音楽家と思われていきます。
そんなロッシーニの再発見に大きな
貢献をしたのがアバドです。
ロッシーニには屈託のない伸びやか
さがあります。
ゆったりした叙情と劇的な盛り上がり
を作り、音楽は苦労の跡をとどめずに
流れます。
そして何より人の心に音楽を届け同
調させてひとつにまとめる構成力を持
っていました。
それを理屈や押し付けでなく自然
な流れと上品で洗練されたセンスで
作品に仕上げます。
モーツァルトに匹敵するような才能
です。
この序曲集にはそんなロッシーニの
音楽の楽しさとエッセンスが詰まっ
ています。
ロッシーニには、「ロッシーニ・クレッ
シェンド」という必殺技があって、こ
のアルバムにもいたるところに見ら
れます。
感傷をゆさぶるようなゆるやかな旋
律の後に、早めの短いフレーズが
繰り返され、次第に音量をあげてい
きます。
演奏する楽器が増え、木管楽器が
いろどりを添え、ついには黄金の輝
きのようなきらめきとエネルギーの
解放に至ります。
音の強さや鮮やかさなら、トスカニ
ーニをはじめアバドよりも効果を上
げているものも多くあります。
けれど心が浮き立つようなわくわく
感では、アバド以上のものを感じさ
せるものはありません。
アバドが持ってうまれた伸びやかな
感性をだしきって音にこめます。
音楽は美しく、生きることは快を求め
ることであるという当たり前のことが、
これほどはっきりと形になることはそ
う多くはないでしょう。
音楽の才能とそれを伸ばす機会に
恵まれ、愛情あふれる家庭で大事
に育てられ、人間の善や美しいもの
を信じ、物静かだけれど率直で、他
人を引き込む笑顔をもっている、「クラ
ウディオ」と名づけられたアバド。
先のドビュッシーでみせたストイック
に突き詰めたものと対照的な、この世
にある悦びを謳歌しています。
けれど肉体的存在としてだけでな
く、魂の担いとしてのアバドにはまた
別に背負っているものがあります。
そんな軋轢が後年、肉体に大きな
ダメージを与えたかもしれません。
モーツァルトは命を切り詰めて音楽
を追求し高みに至りましたが、悲惨
の中で夭折しました。
ロッシーニは途中で方向転換しこの
世の悦びを追求し永らえましたが、
世間から忘れられました。
どちらがいいというのではありません。
まだ若いアバドにも多くの道が開か
れていますが、容易な道を選ばなか
ったことだけは確かです。

アバドと静寂の音  その1 ドビュッシー夜想曲「弱音の鬼」 アバド指揮 ボストン交響楽団

アバドと静寂の音  その1
ドビュッシー夜想曲「弱音の鬼」1970年
アバド指揮 ボストン交響楽団

手に取ったりんごをテーブルの上に
置くとします。
色あいや形、光の具合、テーブルの
質感や間合いなど、いろいろな要素
がある中、自分がここしかないと感じ
る場所があります。
必ずしもりんごが一番映える場所で
はないかもしれません。
そのポイントから少し動かすだけで、
空間に張りつめたものが生まれる
かもしれません。
りんごの置き方、空間の捉え方にそ
の人の人間性が現れます。
りんごの持つ生命力、色あいのもつ
変化から自然の豊かさを感じます。
ひとつとして同じ物はないのに、全
体として調和する宇宙の営みを感
じられる場というものがあります。
まだ若かったアバドが指揮したこの
ドビュッシーの曲には、そんな孤独
につきつめた透明な緊張感があり
ます。
クラウディオ・アバドは1933年にイタ
リアのミラノで生まれました。
音楽一家に生まれ、家庭内でいつ
も室内楽を演奏する恵まれた環境に
育ちます。
ウィーンで学び、タングルウッド音楽
祭で最高位のクーセヴィツキー大
賞を獲得、ミトロプーロス国際指揮
者コンクール第1位など順調な船出
となりました。
けれど指揮の出来にアバドは納得
できず、故郷に帰って室内楽の教
師をしながら研鑽をつみます。
再び表舞台に立ち、ミラノスカラ座
音楽監督、ロンドン交響楽団音楽
監督、ウィーン国立歌劇場音楽監
督を歴任しました。
1990年からは憧れの存在であった
フルトベングラーという指揮者の楽
器、ベルリンフィルの音楽監督とな
りました。
やりたいことは何でもできてしまうよ
うな、誰にもとめることはできない
順調な経歴です。
そしていつももの静かで謙虚でも
あったアバドは、自分の音楽を追求
することを終生続けました。
このアバドの初期のアルバムには
そう簡単には安易な心地よさには
近寄らないぞという決意の表明が
されているようです。
ドビュッシーの透明で細やかなニュ
アンスに富んだ音たちを、アバドは
一音一音ていねいに紡ぎます。
細く、美しく、しなやかな糸が絡み
ながら暗い空間に揺れて漂います。
はじめてこの演奏を聴いたとき、弱
音の鬼というイメージが浮んできま
した。
大きな音でどれだけダイナミックな
表現をするかでなく、小さな音にど
れだけニュアンスをこめられるかが
注意深く厳しく求められています。
スマートな立ち振る舞いと人懐こい
笑顔の奥にある、求道者としての
ストイックなアバドの姿が感じられ
ます。
そこにある存在の意味と必然が追
求されています。
けれど若いアバドはあることの意味
を求め、ないことの意味にはまだ
至っていないように感じます。
それは何よりも音楽への献身に支
えられていますが、自らの音楽への
追求とこだわりにもなっています。
指揮する姿も、オーケストラに向か
ってタクトを突き立て情熱をこめて
楽員を鼓舞する、肩に目いっぱい
力の入ったものでした。
ふくらみとしなやかさを持ち、力の
抜けた流麗な指揮ぶりのベルリンフ
ィルとの再録音まで30年ほどの時間
の経過が必要です。
けれどいずれも素晴らしく、違うもの
であっても、やはりどちらもアバドな
のです。
美しく整った演奏をするために、没
個性的と捉えられることも多いアバ
ドですが、個性を主張しない個性は
より強く、根深く、何ものにも換えが
たいものとなっています。