カテゴリー別アーカイブ: 旬の音楽

季節の音楽とからだ その10 モントゥーのシベリウス第2交響曲

季節の音楽とからだ その10
モントゥーのシベリウス第2交響曲

妖精のささやき、トロルの雄たけび
私が持つシベリウスのイメージは、
どちらかというと重く、固いものが
あります。
氷河に削られた北欧の急峻な山
や、青い空と藍色の海、そしてそ
こに暮らすバイキングなどがあい
なす、硬質で混じりけのない結晶
のような感覚です。
昔の音楽室には必ずかかってい
た、スキンヘッドで眼光鋭いシベ
リウスの写真もそのイメージを強
いものにしています。
強く、固く、鋭い巨大な斧のような
ものが月の光に照らされ、冷たい
空気を切り裂きながら進んでいく。
その速度は早いのだけれど、スロ
ーモーションのようにゆっくりと見
えます。
ゆるぎなく進み、急ぐことも、後戻
りすることもありません。
人間の惑いをのせない超自然的
な力を感じさせる演奏が印象に
残っています。
けれどモントゥーのシベリウスは、
まったく違います。
柔らかく息づき、人の営みのぬく
もりを感じます。
鳥の声や森のざわめきだけでな
く、妖精のささやきやトロルの雄た
けびすら聴こえます。
1959年の録音でだいぶ昔のもの
なので、この演奏があったため、
以降のものは違う表現を模索せ
ざるをえなかったのかとさえ思い
ます。
とは言っても発売当時のこの演奏
は正当には判断されていなかっ
たようです。
ザハリッヒ(即物的)という評価が
あり、音は美しいけれど表面的
で、心の動きをとらえていないと
感じていた評論家が多くいました。
私の好きなジョージ・セルという指
揮者も同じようにザハリッヒの権化
のように言われていました。
時代より先の感性を持つ人たち
が受けざるをえない洗礼のような
ものでしょう。
こんなファンタジーに富み、細や
かでありながらダイナミックでもあ
る演奏が形だけを追ったものと扱
われていた時代があったのです。
いまだに美意識や男のヒロイズム
を強く感じる演奏は多く、また映
画の一こまのような作られたあざ
とい美しさを追ったものもあります。
けれどここにあるのは変わらない
人と自然とひそかな神秘の営み
です。
森の散歩のわくわくする一歩から
はじまり、雲間の光のうつろいや
月に踊る影などの心をときめかせ
る大きな風景や崇高な自然の美
と一体になる高揚がやってきます。
けっして情景を音でなぞったよう
な表現ではありませんが、良質の
音楽がもつ想像力を喚起する力
で、見知らぬ風景に出会っている
ような感動があります。
新鮮でありながら懐かしいような
心の奥深くをゆり動かす感覚です。
哀しいときも、楽しいときも、疲れ
たときも、元気なときも楽しめると
ても稀有な音楽です。
人の存在を超えたところまで語れ
るモントゥーや音楽の力は本当に
すごいものだと改めて感じさせて
くれます。

季節の音楽とからだ その9 モーツァルトピアノ四重奏 高嶺に咲く花

季節の音楽とからだ その9
モーツァルトピアノ四重奏
高嶺に咲く花

芸術にはいろいろな楽しみがあり
ます。
日常を忘れ、美しい理想の世界に
ひたることもできます。
人の生きる意味を問い、新たな世
界を切り拓くこともできます。
接する人を楽しませることと、自分
を深く追求するという、相反するも
のが両立した、あり得ないものが
芸術だと言うこともできます。
求める人が何を見るか、作る人が
何を極めようとするかにより、無限
の局面と出会いがあることでしょう。
今回ご紹介するモーツァルトのピ
アノ四重奏は、彼の作品の中で
は目立たないものかもしれません。
ウィーンに住み、ピアニストとして
も作曲家としても広く知られ、ピア
ノ協奏曲の20番から24番、オペラ
の「フィガロの結婚」などの傑作を
あふれ出る泉のように作曲してい
た時期です。
もともとはアマチュア用の楽譜とし
て作曲されましたが、あまりに高度
な内容で、その時期には出版され
ませんでした。
ピアノとヴァイオリンとビオラとチェ
ロの四つの音が緊密に絡み合い、
どこにも隙がありません。
すべての瞬間が満ちたりています。
暗く衝動的な情緒や、しっとりと心
をとかすメロディー、伸びやかで
感覚を開放したリズムなど、様々
な感情がうつろい、私たちを音楽
の楽しさに誘います。
エンターテイメントの要素と、芸術
家の自己実現という芸術の二つ
の側面が高いレベルで達成され
ています。
けれどあまりの完成度の高さが、
人を容易には近づけないのかもし
れません。
高い山の頂にひっそりと咲く花の
ように、美しく、孤高で、純粋です。
それだけに演奏も難しいのかもし
れません。
私たちに迫るものを持っている演
奏が本当に少ないのです。
その中でおすすめなのは、と言う
より私にこの曲の素晴らしさを教え
てくれたのは、ワルター・クリーン
というピアニストとアマデウス四重
奏団のメンバーによるものです。
アマデウスはモーツァルトのミドル
ネームで、彼の名を冠した最もオ
ーソドックスな解釈で知られてい
ます。
演奏の技術よりも味わいを感じさ
せます。
柔らかく、ゆったりと、滋味あふれ
る演奏が特徴で、このアルバムも
そうした流れの中で世にでたもの
です。
けれど半面少し音程を下げて、雰
囲気を演出するような傾向があり、
好き嫌いが分かれるところです。
クリーンはウィーンで学び、数々の
コンクールに優勝しました。
ソリストとしてだけでなく、伴奏者
としても活躍しました。
けれど一般的にはそう人気は出
ずに、ミュージシャンズ・ミュージ
シャンとして、プロの仲間内での
評価が高かったようです。
ウィーンの伝統をしっかり受け継
いでしっとりと柔らかな音楽を奏で
ているようでありながら、そこにリア
ルで鋭く冷たいものをすべり込ま
せます。
それが、伴奏した時など、本人が
持っている以上のものを引き出し
たりすることがあります。
けれどその完成度の高さの故、
どこにも隙がなく、音楽に娯楽を
求める人たちにとっては少し息
苦しいものとなります。
そんなことは本人が一番わかって
いるでしょう。
それでもある種の凛とした姿勢を
崩さない誇りの高さが、芸術の持
つ厳しさを私たちに伝えます。
それは当然、共演のアマデウスの
メンバーにも伝染し、普段の彼ら
からは想像できないキリッと引き締
まった音楽を生み出しました。
胸が震えるような音楽の感興と、
何かありえないものを掴まえよう
とする緊張感、そしてそれにうち
こむ演奏者たちの悦びが私たち
にも伝わります。
厳しい状況の中の方が、芸術とし
て価値の高いものが生まれること
は多々あります。
年末の忙しさだけでなく、来年も
きっといろいろな厳しいことが私
たちに訪れるでしょう。
孤独な闘いを強いられる中での
大きな助けに、この音楽はなるで
しょう。

晴屋の青い扉 その79 モーツァルトの音

晴屋の青い扉 その79
モーツァルトの音

モーツァルトの音に、人は何を聴くだろう。
この世の猥雑を抜け出した天上の調べという人もいるだろう。
生まれたての赤ちゃんのような、ときめく無垢を感じる人もいるに
違いない。
快活なおしゃべりのような、この世にある喜びそのものとも言えるか
もしれない。
ありとあらゆる悦びとそれに内在する哀しみを表現していながら、
洗練と上品と美しい均衡を保っている。
その豊かな表情の何に惹かれるかによって、聴き手の受け取るも
のはまったく違ってくる。
モーツァルトに決定的な演奏、誰にでも支持される圧倒的な演奏、
が出にくいのはそうした理由によるのだろう。
私自身、これぞモーツァルトを聴く悦びと感じる演奏は、時と共に、
こちらの感受性や時代の変化とともに移りかわっていく。
私がクラシック音楽を聴き始めた50年ほど前には、小林秀雄によ
って描かれた「疾走する哀しみ」を背負ったような深く重い演奏が
多くの支持を集めていた。
個人の思い入れの深さとロマンチックさを競っていた。
そんな時代にはむしろ、すっきりと素朴なモーツァルトに心を動か
される。
クルト・レーデル指揮のミュンヘン・プロアルテの「フルートとハープの
ための協奏曲」は淡々と音を紡いでいくだけなのに、自然にモーツァ
ルトの内面の感情の起伏が感じられ、清涼感がとても心地よかった。
しかしそれも次第に薄れ、忘れていく。
そして次の「これぞモーツァルト」という音に出会うと、もう次に聴い
てもときめきを感じなくなってしまう。
その演奏は必ずしも名演奏というわけではない。
グルダのピアノとアバドの指揮の協奏曲など多くの素晴らしい演奏
は、演奏家の技術や芸術性などの圧倒的な大きさに打たれ魂が
震えるような思いをいだくこともある。
けれどモーツァルトを聴いたという充実、純真で無垢なものに触れ、
素の自分にたちかえる感覚とは違うものだ。
きらめく音や行方もわからない流れに心も身体もあずけて、自分と
世界の境界がうっとりと溶けていく。
そしてその感覚を呼び起こす演奏は常にひとつだけだ。
その後にも続くモーツァルトの音たちは、例えば音楽の官能を極
めながらも均整のとれた感覚が絹糸のようにすべやかに流動する
デュメイが指揮とバイオリンを演奏した協奏交響曲であったり、ヴ
ァーシャリィがベルリンフィルを指揮振りし、感情の豊穣をそぎ落と
し、締まった感性に完全な美しさで音楽のエキスを結晶させたよう
なピアノ協奏曲だったりした。
そして今、私にこれぞモーツァルトと感じさせるのはアバドがベルリ
ンフィルを指揮した交響曲第23番と36番「リンツ」そして協奏交響曲
を1枚に収めたアルバムだ。
音自体は今までで一番地味かもしれない。
交響曲という言葉から連想される一糸乱れぬ完璧なアンサンブル
や巨大な音の塊りを感じさせる威圧的な要素がここにはない。
比較的少ないメンバーで演奏されていると想像できる音は、むし
ろひそやかにそっと周りの音を感じながら発せられている。
前任者のカラヤンが圧倒的な音量でより多くの人の感性を圧倒し、
より多くの富と名声を求めたのとは対極の方向に音楽が向いてい
る。
独裁的な指揮者による統制による磨きぬかれた輝きと、拡大され
た個人の感性の押し付けの度合いを競う一般的な嗜好とは違うも
のをアバドは求めた。
鉄の規律を誇っていたベルリン・フィルに室内楽的で内省的でしっ
とりした響きを導きいれた。
聴衆や楽団員にはおおむね好評だったとはいえ、評論家たちには
酷評され、宣伝され、アバドは何も新しいことをせず昔の輝きを失
ってしまったと捉えられていく。
そんな時期のあまり世の中では評価されなかったけれど、長い
修練の末の純度の高いエッセンスがこのアルバムに詰まっている。
これだけの苦労をして革命的といってもいいような変貌をなしとげ、
それでもその苦労や気負いを表現にはだしていない。
全員が息を一つにして、互いの音を確かめ合い、寄りそいながら
一瞬一瞬の美しさを楽しんでいる。
音楽に知性や個人の感性の爪痕を残さず、音それ自体の美しさに
よって伝えようとする凛とした姿勢は、違う世界に生きる私たちにも
多くの力を与えてくれる。
モーツァルトの音に浸っている実感はあるのに、不思議なほどに高
揚感がない。
落ち着いて、地に足をつけて歩みをすすめている。
一点に向かい他には目もくれずに「集注」するのでなく、内なる声
に耳を傾けながらも同時に周囲の様子も感じ取っている「集中」
を感じられる。
一見平凡でありながら、瞑想的な深い要素を達成した音楽に私が
惹かれるようになったのも、それに対応する変化があるということ
なのだろう。
震災以降2年ほどまったく、モーツァルトを受け付けない時期もあ
った。
モーツァルトの音楽はすぐれた芸術作品であるとともに、心を映す
鏡でもあるのだろう。

季節の音楽とからだ その8 セルの水上の音楽   束の間の開放と永遠の命

季節の音楽とからだ その8
セルの水上の音楽
  束の間の開放と永遠の命

うっとおしい梅雨時は、身体も心も湿気で重たくなります。
腎臓や呼吸器の疲労はピークになり、何事にも億劫で面倒くさく、
眠くだるい日々が続きます。
けれど時折やってくる梅雨の晴間や梅雨明け何日かの開放感は、
何にもかえられないような浮き立つ喜びがあって、束の間ではあっ
ても生きる充実感を謳歌できます。
また重苦しい日常に戻るとしても、この瞬間を楽しまなければ、生き
ている甲斐はありません。
辛さと悦びを重ねながら、命は永遠につながっていきます。
水上の音楽は、ヘンデルの個性をもっとも感じられる代表作です。
力強く吹き抜ける音は天をゆく馬のようなたくましさと爽快感があり
ます。
また叙情的なところでは、心を包むベールでやさしく誘い、固まっ
た強張りを解き放ってくれます。
実はこの作品を作った時の逸話が残っています。
ドイツのハノーファ選帝候に雇われていたヘンデルは帰国命令を
無視してイギリスに滞在していましたが、王が急死しそこにやって
きたのがジョージⅠ世となった先の雇い主でした。
そこで機嫌をとりなすため、船遊びのための音楽を作り、和解をし
たというものです。
かなり切羽詰まった状況を打開するための起死回生のための作曲
ですが、そんなプレッシャーをはねのけてヘンデルは、傑作を
作ってしまったわけです。
苦労の跡をみせずに、音楽にひたる悦びを提供するヘンデルは
まったくの天才だと認めざるをえません。
おすすめする演奏はジョージ・セルという指揮者がロンドン交響楽
団を指揮したものです。
セルという人は戦後アメリカに帰化しましたが、ヨーロッパの伝統を
色濃く受け継ぎながら、アメリカの近代的な明晰な音を両立したす
ぐれた演奏を多く残しています。
私がもっとも信頼する指揮者で、人気ではカラヤンが上でしたが、
カラヤンがセルの前では小さくなって頭が上がらなかったほどの実
力で、プロ中のプロといえる人です。
練習の厳しさも有名で、ウィーンフィルをはじめどの楽団の奏者に
もけむたがられていましたが、セルが指揮した後には確実に実力
が上がるため、オーケストラビルダーとして求められていました。
決して自分を一番と誇る人ではありませんでしたが、自信は相当あ
ったようで、その地の本場の音楽をあえてとりあげるようなところも
ありました。
このアルバムもヘンデルの本拠ともいえるロンドンで、これならど
うだという素晴らしい演奏をしています。
現代ではヘンデルは古楽器というその当時の楽器で演奏するの
が主体で、私もそれを支持しますが、ここではそんな原則論など吹
き飛ばす、豪快で、清清しく、なににもかえられない哀愁にあふれた
音楽を展開します。
人の世の猥雑や葛藤、自然との軋轢など一切を軽く乗り越え、こ
れぞ音楽の悦びという時をつむぎます。
特に最後に入っている有名な「ラルゴ」は、気品にあふれ、きりりと
した姿勢を保ちながら、あふれる愛おしさが私たちに永遠の美しさ
を感じさせてくれます。
日々のくらしを楽しくしてくれるのも音楽の力ですが、非日常の愉し
みもまた音楽の悦びです。

季節の音楽とからだ その7 イダン・ライヒェル・プロジェクト 美しく、切なく、ほろ苦く

季節の音楽とからだ その7
イダン・ライヒェル・プロジェクト
美しく、切なく、ほろ苦く

クラシックやジャズをとりあげることが多いこのコーナーでは珍しく、
現代のポピュラー音楽です。
世の流れから離れたところに身を置くことを好む私ですが、だからと
いって多くの人が支持するものを拒んでいるわけではありません。
KISSとももクロのコラボのメイキング映像を見て感動したり、孫が毎日
欠かさず聴いているというテーラー・スイフトもセンスも頭もいいなと
感心したりしています。
特にアンテナを広く張っているつもりはないのですが、心を開いて
いれば必要なものには必ず出会えると信じています。
そんな中、最近ポゴレリチと共に飽きずに頻繁に聴いているのが
イダン・ライヒェル・プロジェクトの音楽です。
友人の吉良さんが教えてくれたイスラエルの音楽で、一度触れた
だけですっかり夢中になってしまいました。
芸術的な短編映画が次々に展開していくようで、知らない風景や
雰囲気に心奪われます。
新鮮でありながら、何故か懐かしく、胸に迫るものがあります。
プロジェクトの名の通り、イダン・ライヒェルという若い作曲家で、鍵
盤楽器の奏者で、ボーカリストでもある人が、プロデュースもかねて
様々な国の人たちとセッションをして作ったアルバムです。
みな音楽本来の美しさを求めて母国語で歌っているので、英語の
曲はひとつもありません。
タイトルにAzini(Comfort Me)、Siyaishaya Ingoma(Sing Our
Love)などと書いてあるものからのイメージが広がります。
イスラエルの一般的な音楽の状況がどういうものなのか私はまったく
知らないのですが、次々に繰り広げられる音楽にはアラブやアフリカ
のエコーが感じられます。
叙情的で美しく、私たちの感傷や郷愁に訴えるものがあります。
しかしそれだけなら、どこにでもあるヒーリング・ミュージックです。
この音楽はそれを超えて私たちに迫るものがあります。
「良い音楽に国境はない 私たちはまだ共に楽しみ、つながること
ができる」
決して声高に平和を叫ぶことはありませんが、それだけに静かに心
に沁みて、私たちの深い部分を揺り動かします。
私が普通には使うことのない言葉ですが、魂をゆさぶる音楽です。
これがあまりに美しい故、そして私たちは彼の地のイスラエルや
中東、アフリカでの悲惨な現状を知る故、切なさはよりまします。
イダンはイスラエルのユダヤ人であるのですが、一般的にユダヤ人
と言われている人たちは東欧から来たアシュケナージという改宗し
た白人たちです。
古代からの本来のユダヤ人は、アジア系でギリシャ人や日本人に
近い容姿です。
イダンは自称は東欧がルーツと言っているのですが、見かけはどうみ
てもアジア系です。
そんなことも私たちに親しい感覚を呼び起こす一因かもしれません。
日本の五月は光があふれ、風も心地よいのですが、目が疲れた
り、呼吸器もくたびれて気分が落ち込みやすくなります。
一見平和ではあっても社会の不公正や軋轢、迫り来る戦争の足
音などさまざまな物が私たちを脅かします。
そんな時、自分を律し、原点に立ち返り、またこの地で自分なりの
課題に取り組む意欲を導いてくれる作品です。
美しく、切なく、ほろ苦く、この季節の私たちの要求にぴったりです。
イダン・ライヒェル・プロジェクトの名で3枚のアルバムがリリースされ
ていますが、これは最初のものです。
後の作品になるに従い、音楽的純度は上がっていき、洗練の度を増
していくのですが、ビビットな生活感は薄れていきます。
芸術と生活の関わりあいという立場からも興味深く、難しい問題でもあ
りますが、私は一枚目を支持します。

季節の音楽とからだ その6ミルシュテインのメンチャイ 戸惑いの季節の光

季節の音楽とからだ その6
ミルシュテインのメンチャイ
戸惑いの季節の光

2月というのに窓の外には光があふれ、植物や動物たちの内にも
命の炎をともしているようです。
冬の間、縮こまっていた私たちにも蠢き、殻を破って何かをなしとげ
たい意欲が湧いてきます。
けれどあてのない要求は出口や目的も定まらず、骨盤や肩甲骨
などが不安定で気持が悪く、身体の自立性を失って、妙に眠かった
り、不必要に食欲が湧いたりします。
寒さへの対処も必要なのに、熱い季節に向かい代謝を上げて雑菌
などに負けない身体を作っていく、矛盾をかかえながら綱渡りをして
いくような季節です。
こうした変動は人によりさまざまですが、5月くらいまで続き、とても
気持がよく好きだという人がいる半面、木の芽時の変化や欝、五
月病といわれる状態になる人もいます。
いずれにしろこの季節の特有の状態と割り切って、変化を積極的
には追いかけず、心を静かに保ち、うつろいを楽しむくらいのゆと
りが欲しいものです。
今回ご紹介する音楽はそんな内面の嵐をかかえながらも、明確な
行動も起こせず、自分を見失いがちな時に、感覚のリセットに役立
ちそうなものです。
メンチャイとは有名なメンデルスゾーンとチャイコフスキーのバイオリ
ン協奏曲2曲の略称で、この組み合わせのアルバムは星の数ほど
でています。
ナタン・ミルシュテインというバイオリニストは決して派手な演奏をす
る人ではなかったため、日本ではあまり知られていませんでした。
よく貴族的という表現をされる、媚びをうらないきりっと締まった音
で、それがどんな難しい旋律でも宙を糸が舞うように、線が繋がっ
て軽々と美しい曲線と表情を見せます。
神業とまでいわれる技術を持ちながらそれを際立たせず、音楽はい
つも自然で、上品です。
また感傷に訴え、情動で人を惹きつけようともしないため、押し付け
がましさもありません。
ある意味、孤高で、崇高ですらあります。
その近づきがたい感じが、実力の割には人気の高くない理由かもし
れません。
けれどひとたびその誠実で謙虚でしかも音楽性の豊かな表現に
親しむとたまらない魅力を発揮します。
今回お奨めするアルバムは彼の代表作とも言われるもので、かな
り高齢になってからの録音です。
音質もよく、より円熟した演奏がたのしめます。
お馴染みのアバドが指揮をし、ウィーンフィルから美しく豊かな表
情を導いているのも名演に強く貢献しています。
2曲とも聴いていると胸が熱くなり、心と身体を鎮め、新たな一歩への
意欲を引き出してくれます。
特にチャイコフスキーの第2楽章がこれほど美しく弾かれたのは聴
いたことがなく、心を充たしてくれました。
春の身体の変動がしっくりせず、寒さも辛く、眠くて頭がはっきりせ
ず、何を食べたらいいのかもよく分からず、自分を見失いがちな
この時期に、私たちを照らすひとつの光となって、感性を羽ばたか
せながらももう一度足元を見据える、そんな音楽や芸術が持つ力
がこのアルバムにはあると思います。
ミルシュテインが私のオーディオの師であった故江川三郎氏と顔
だちが似ているのも、私にとっては胸に迫るものが多い理由かも
しれません。
真摯で、潔癖で、男らしく、思いを残さず日々を生ききる姿勢が何より
私たちに伝わるのだろうと思います。

季節の音楽とからだ その5 ヴァーシャリィのショパン 感傷と虚無のバラード

季節の音楽とからだ その5
ヴァーシャリィのショパン
感傷と虚無のバラード

ショパンの音楽ほど誤解を受けやすいものはないでしょう。
大仰で、ヒステリックで、喧しいショパンの音が巷にあふれます。
私は若いときにはショパンが苦手で、聴くと居心地の悪さを感じ、
嫌悪感を持つことも多くあり、自身を「ショパン音痴」、ショパンを分か
らない人間と認識していました。
それでも絶妙なニュアンスをピアノにこめるペルルミュテや、滋味
があるアラウなどの演奏には心引かれ、親しんでいました。
後年、人生の経験を積んでくるうちにショパンのある種の「響き」が
達成されているかどうかがその嗜好の分かれ目なのだと気付き始
めました。
ピアノのアタックを連ねて声高に感情をむき出しにしたり、反対に
メカニックに音の威力をみせつける演奏に違和感を感じます。
瞬間のアタックを抑えてその後の響きから漂うようなふくよかな香気
を感じるものを好むのです。
今回紹介するタマーシュ・ヴァーシャリィというピアニストにもその
色あいが強くあります。
同じ東欧の出身で、故郷を離れて暮らすという共通のものもある
のかもしれません。
なんともいえない哀愁を帯びた歌の中に、しっかりと心を捉える芯の
強さがあります。
ショパンと同時代の作曲家で文筆家としても有名だったシューマン
は「花の中に大砲を隠した音楽」という喩えを残しています。
ロマンチックで、近代的な感性を持つショパンですが本人はロマン
派とは思わず、バッハやモーツァルトに連なる作曲家と思っていま
した。
ベートーベンの後半生に同時に生きていたショパンが近代的自我
意識と新しい音楽の感性を持っていたのは本当に驚異的なことです。
そしてモーツァルトに備わっている気品やニュアンスがあってこそ
本来のショパンです。
しかしもちろんそれだけでなく、政治に翻弄される故郷の有様、
自らの病などを冷徹に見切る厳しい視線もあります。
若い頃のショパンは快活で物真似や似顔絵が上手く鋭い観察力と
音楽だけでなく文章での表現力にも優れたものがあったようです。
感傷とニヒリズムという相容れない要素が対立し、あるいは共に支え
て他の誰にも紡げない世界を作ったのがショパンです。
ですから見え透いた激情で安っぽい絶望を歌ったり、ただ甘い感
傷で表面的な感覚の喜びですます音楽に怒りさえ感じるのです。
自分をショパン音痴と思っていた私ですが、意外に好きなのかもし
れないと思うようになっています。
このCDたちはその認識を確実に深めてくれました。
BGMには決して適さない、柔らかいけれど、とても切実な音楽です。
私を含めて近親者が亡くなったという話を多く聞く今年ですし、世界
や地球が軋んで声をあげているようにも感じます。
こんな時こそ音楽の力で自分をリセットする時間が必要です。
このCDにはそうした要求に耐える力があります。
傑作のバラード全曲の他、夜想曲とワルツの全曲も入って3枚組み
で、ショパンの世界がたっぷりじっくり楽しむことができます。

季節の音楽とからだ その4 アーノンクールの後期交響曲集 不調和のモーツァルト

季節の音楽とからだ その4
アーノンクールの後期交響曲集
不調和のモーツァルト

アーノンクールいわく、「モーツァルトは断じて癒しの音楽などでは
ない」。
長身痩身で、頭頂部がうすく、眼はギョロッと鋭く相手を睨みつける。
ウィーンの貴族の家系なのだそうですが、指揮者、チェロ奏者とし
てのアーノンクールの音楽はノーブルというよりは、アグレッシッブ
で野生的といってもいい力に充ちています。
評論家からは毛嫌いされ、ベームという当時の重鎮の指揮者は、彼
の音楽を聴いて激怒したそうです。
しかし攻撃的で激しいばかりではありません。
ゆるやかな楽章ではゆったりとたゆとうような音楽を紡ぎます。
これは他のオーケストラに客演した時よりも、手兵のウィーン・コン
ツェルトムジクスを指揮したものの方に顕著にあらわれます。
以前のコンサートマスターは奥さんのアリス・アーノンクールでした。
味のあるヴァイオリンを弾く人で、人を大らかに包み込むような鷹揚
さと伸びやかさの中になんとも言えない滋味があります。
ヘンデル合奏協奏曲などの超名演は、この奥さんの内助の功があ
ると私はひそかに思っていました。
このCDのモーッアルトの後期交響曲はアーノンクールにとって3
度目の録音になりますが、コンツェルトムジクスとは初めてです。
以前のものは知が先走っていて、一般的な評価は高かったものの、
個人的には馴染めませんでした。
今回はまったく違います。
表現の幅が広く常にダイナミズムに溢れているのに、どこにも無駄
や余分がなく、必然的なものに感じられます。
モーツァルトなのにティンパニーは炸裂し、金管楽器も鳴り響きま
す。
そしてその間に、すべやかで心を愛撫するようなやさしく味のある
音がすべりこんできます。
以前はこのふたつの表現が交互に波状的にやってきました。
50年もの歳月を経たアーノンクールの音楽はもっと熟成し、その間
にいくつもの段階を持つことで、より表現の幅と奥行きを感じさせ
るものになっています。
ゆったりした流れの中に次の力をためたり、激しい表情の中に憂い
をひめたりしています。
高齢の今は、さすがにコンサートマスターではありませんが、メンバ
ー表の中にアリスの名を見つけるとうれしくなってしまいます。
ライバルともいえるブリュッヘンやアバドも同じような構成のアルバ
ムを出しています。
ブリュッヘンは低音部のしっかりした安定感と生き生きした高音部の
表情を両立した調和と、音の完成度の高い音楽を作りました。
アバドは調和の中に個人の創意と即興の要素をとりこみ絶妙のニ
ュアンスを音楽に持ち込みました。
常に切実なものを求めるアーノンクールは、不調和の中の調和とい
う独自の世界を完成させています。
「第39番ホ長調」では破壊と愉悦が交互に押し寄せ存在の根源を
揺さぶられるようです。
「第40番ト短調」では哀愁と感情の咆哮が波のようにせめぎあい、
鷲づかみにされ世界を飛翔しているようです。
「41番ハ長調」はアポロ的な力強さが示されています。
ゆとりあるテンポに気迫に充ちた瞬間が壮麗な伽藍を思わせます。
アーノンクールはこのアルバムを「器楽による聖譚曲Instrumental
Oratorium」と名づけています。
冥界と地上と天とをすべてこめようとしているようです。
私はモーツァルトの音楽の魅力は、刹那的な快楽と上品な哀愁
という対照的なものの両立した人間性を極めたものと思っています。
アーノンクールはそれでは飽き足らず、永遠を求める意思や天への
祈りをこの音楽にこめました。
ある意味、モーツァルトを超えたものでしょう。
それには破綻を恐れない覇気と、不調和からいつでも戻れる強い
自律が求められます。
これほど個性的で面白く、強く迫るモーツァルトを私は知りません。
百戦錬磨で高齢のアーノンクールにとってもこの録音は、存在をか
けた闘いであったでしょう。
冒頭の「モーツァルトは断じて癒しの音楽などではない」という言葉
の重みを感じます。
夏の疲れが肝臓にたまり、迷走神経も緊張し、天候も不順でイライラ
としやすいこの季節に、音楽によるカタルシスで自分を取り戻すの
にとても有効なものと思います。

季節の音楽とからだ その3  安らぎのブルックナー

季節の音楽とからだ その3
安らぎのブルックナー

ブルックナーというと、やたらと長くて、重たくて、退屈というイメージ
があります。
敬虔なカトリックの信者で、オルガンの演奏にも長けていたので、そ
の響きは、神への賛美が重層的な厚い音でつづられています。
神への奉仕や宗教感情を柔らかな響きで演奏するのが伝統的な
演奏でしたが、近年再評価されて新しい潮流として、切味のある見
通しの良い音とダイナミックで大きな音量で、圧倒的で巨大な表現
をしているものが増えてきました。
温かくゆるやかな信仰告白から、近代的な自我に訴える永遠と純
粋を感じさせるものに表現の方向が変ってきています。
ブルックナーの音楽にはそうした、没我的な調和と永遠を掴み獲ろう
とする自我意識という相反するものが同居しています。
バッハの峻厳と愉悦、モーッアルトの哀愁と喜び、ベートーベンの
素朴と洗練などのように、多くの人に支持されている音楽は相反
する要素が調和しています。
そうした意味でブルックナーの作品も天才が生んだ傑作であるとい
えます。
今回ご紹介するのは、アバドがルッツェルン祝祭管弦楽団を指揮し
た第9交響曲です。
ブルックナーの最後の作品であり、アバドの最後のコンサートの記
録でもあります。
アバドのブルックナーは今までの流れからは少し違う位置にあるよ
うに感じます。
9番の演奏の定評のあるものでは、ヴァントは織り成す音が綾となり
いつしか永遠とつながっているようでした。
チェリビダッケは、ペルシャ絨毯のような極彩色の音を延々と紡ぎ、
美とは何かを訴えます。
ジュリーニは、圧倒的な表現力に情緒をからませて祈りを感じさせ
ます。
アバドのこれまでの演奏はそうした音楽に思想や主張をこめるの
を拒み、今生きる悦びを感じさせるものでした。
彼岸的でなく、極めて現世的でそうした意味でとても個性的なも
のと感じでいましたが、もうひとつもの足りなさもありました。
今回の演奏会の様子が伝わってきていますが、明らかに衰え、とて
も辛そうだったといいます。
けれど音楽からは弛緩や滞りはまったく感じられません。
そしてダイナミックな音色や心の行き届いた表現が続くのに、ど
こにも作為や力みが感じられません。
この作品をよりよく演奏しようとか、人によく分かってもらおうという
おこがましさやお節介もありません。
ただ淡々と作品に向き合い、それが自然に音となって現れ、それが
ひたすら美しいのです。
第3楽章の全宇宙の星がいっせいにきらめくような瞬間で、他の指
揮者はそこに全エネルギーを集中して感動を誘うのに、アバドは
ひそやかに愛おしく音をつむぎます。
それがまた、いっそう感動的なのです。
私がブルックナーを聴くのは主に秋で、迷走神経がぴりぴりとして
いる時に、毒をもって毒を制すという感じで使っています。
けれどここには毒はありません。
ふつうは一曲聴くとぐったりと疲れてしまうブルックナーなのですが、
これは何度でも続けて聴け、その度に新しい発見と心に沁みる歌
を感じます。
癒しという言葉には手垢がつき、感覚のごまかしのようなニュアンス
を感じるので、安らぎという言葉に託します。
季節や天候の疲れだけでなく、世の中の様々なこと、老いや死
といった現実など、のりこすことが困難なことが多くあり、真っ向から
突き当たることも目をそらすこともできませんが、そうした時の心の
支えとして、芸術ができることの最高のことのひとつがここにある
と感じます。
CDのケースの内側の写真にステージを歩み去るアバドの後姿がと
らえられています。
痩せ、衰えてはいても、それでもこの音楽を奏でたという事実が私
たちの胸に迫ります。
美味しいものだけではいたたまれないと感じることがあった時、お試
しください。

季節の音楽とからだ その2  水の季節の憂い

季節の音楽とからだ その2
水の季節の憂い

梅雨は、梅の雨なのですね。
しとしとと降る間に、いつの間にか梅の実が大きくなります。
乾燥した春の後、少しならしっとりと心地よい雨ですが、長く続くとじ
っとりと心も身体も重くなります。
食べ物も痛みやすく、あちこちがかびてきます。
私たちの身体にも水分がたまり、むくんだ感じになります。
水の循環が悪く、腎臓に負担がかかります。
汗がでていれば、老廃物は皮膚からも出せて、腎臓もそれほど働
かなくてもいいのですが、皮膚から蒸発する水分が少ないため、
腎臓はフル稼働です。
腎臓は疲労を表現する内臓で、直接疲れとして感じます。
そのため、なんとなく物憂く、だるく、何事にも億劫になります。
ちなみに肝臓が疲れると私たちは、感情の毒を排出できずに、い
らいらし切れやすくなります。
また湿気が多いために、肺からの酸素の吸収の効率も悪くなり、よ
けいにものぐさになります。
体調の維持には水分の循環を計ることが一番で、なるべく汗をかく
努力をします。
代謝をあげるために辛いものも役にたちますし、生姜やミョウガ
といった薬味もとても有効で美味しく感じます。
縄文水のような吸収のよい水もおすすめですし、お風呂にも長くつ
かって、なるべく汗をかき、その後休むととても腎臓の疲労のケアに
有効です。
熱いお茶もとてもいいですね。
こんな季節にぴったりの音楽はまずブラームスの「間奏曲]です。
晩年のブラームスの傑作群のひとつのピアノ曲です。
しっとりと内省的で、静かに見つめる視線と永遠の美への憧れを
感じます。
グレン・グールドというピアニストはバッハの演奏で有名ですが、私は
こちらのほうを評価します。
ロマンチックで、柔らかく、生まれたてのように無垢で、胸が熱くな
ります。
これと不思議なほどに似ている、まるで双子のように感じるジャズの
アルバムがあります。
キース・ジャレットがソロでやっている「Melody At Night With You」
というもので、難病から回復した喜びと切ない過去の痛みが、や
さしく、純粋な音に宿ります。
この二つは美味しい紅茶を楽しんでいるような感じです。
温泉に入っているような、もう少し物憂い気分にひたるのにぴったり
なのが、フランクとブラームスのバイオリン・ソナタです。
フランクの方がより叙情的で昼間に風景を見ながらの温泉の感じ、
ブラームスは内に秘めた情熱が強く深夜の少し高めの温度の入
浴でしょうか。
何れもデュメイというフランスのバイオリニストと、ピリスというポルト
ガル出身のピアニストによるものがおすすめです。
白昼夢のような、少し熱をおびたような独特の香気があり、日常か
ら離れた別の世界を垣間見させてくれます。
生姜や薬味に匹敵するのは、ショパンでしょうか。
ショパンは情熱的だけれど少し軽いように思われがちですが、
実はとても上品で奥ゆかしささえ持った音楽です。
しかしそういう風に演奏する人は少なく、大半のものは私には受け
つけられません。
ガンガンとヒステリックに弾きまくるものには嫌悪感を感じ、長い間
自分をショパン音痴(ショパンを理解できない人間)と思っていまし
た。
歳をとった今はこちらの方が正解なのだと思えるようになりました。
おすすめはタマーシュ・ヴァーシャリィという東欧出身のピアニスト
によるものです。
熱い思いと静かな視線、秘めた情熱とあふれるやさしさが見事に
バランスしています。
むくんだ心と身体をやさしく、強くゆり動かし、他人にも自分にもや
さしくしたいと思うようになります。

季節の音楽とからだ その1 5月の光と影 フォーレ

strong>季節の音楽とからだ その1
5月の光と影 フォーレ
5月の木々を渡る風は新緑をきらめかせ、緑の風と形容したくなり
ます。
光あふれるこの季節、青い空に白い雲も表情を添え戸外にいる
のが心地よい時もあります。
けれど暑く汗ばむ時があるかと思うと、冷たい風にさらされることも
あります。
冬と夏がせめぎあい、光と影、熱と冷、陽と陰が交錯します。
野菜も端境期。
身体を温める滋養たっぷりの冬の野菜と、身体を冷やし鎮める夏
の野菜が入れ替わります。
何をたべていいかよくわからないこの季節には、食べ物だけでなく
私たちの身体の中でも葛藤があります。
理屈にすると面白くなくなってしまうのですが、空が青いのは空気
が青い光だけを吸収せず反射するためです。
そのため紫外線は四方八方からやってきます。
そして新緑は赤だけを吸収しあとは反射するので、余計に紫外線
が強くなります。
私たちもまだ強い日差しになれていません。
そのためこの季節は意外なほど眼が疲れやすくなります。
眼の疲れは迷走神経を緊張させ全身の疲れとして感じます。
また乾燥やほこり、花粉などのため気管に負担がかかり咳がでや
すくなります。
呼吸器は迷走神経とも関連しているので、頭の緊張も抜けにくく
なります。
呼吸器が疲れていると酸素の吸収が悪くなり、何事もめんどくさく
なり、睡眠をとっても疲れが抜けません。
そのため余計に疲れが蓄積して悪循環におちいります。
気分が暗くなり、頭も働かず、何事にも不精になった状態、それが
五月病とか、欝とかいわれているものです。
外で楽しみたくなる気候と内なる沈んだ気分のギャップがこの季節
の特徴といえるでしょう。
まだ冬に溜めこんだ老廃物の処理も完全には終わっていないこの
時期、肝臓や腎臓のケアをして冬の疲れをとると同時に、夏へ
向かい代謝を上げ雑菌などへの免疫力を高めていかなければな
らない、とても微妙で難しい季節です。
沈みがちになる気分と、内にもたげる荒々しさのどちらにも加担せ
ず、静かに遠い目をして季節のうつろいを楽しむのが、この季節
の大人の過ごし方でしょう。
こんな時にぴったりなのがフランスの作曲家、ガブリエル・フォーレ
の音楽です。
オペラが書けなければ一流ではないと言われていた19世紀末に、
室内楽を中心に、奥ゆかしい静かな音楽を作り続けました。
上品で、繊細で、淡い表情なのですが、決して軽薄やその場一
瞬のなぐさみではなく、人間の深い心の営みをとらえています。
代表作は「レクィエム」でしょうか。
父の死を悼んで作られたこの曲には、通常ある「怒りの日」が入っ
ていません。
教会が要求する死への恐れをとれいれず、むしろ死を安息の場
として肯定する視点がふくまれています。
静謐で、内に秘めた美しさはなにものにも換えられません。
素朴で純粋なコルボ、深く濃密なジュリーニ、洗練と純粋が結晶し
たガーディナーが私のおすすめです。
室内楽は多くの演奏がありますがどれにもいいところがあり、どれが
いいというよりただフォーレを聴きたくなったときに楽しめます。
どちらかというとマイナーで、聴く人が少なく、多くの支持は集めない
フォーレを一生懸命演奏するというだけで好感を感じてしまいます。
ただ年代での音楽の傾向の違いは多くありますので、代表作のひ
とつのピアノ四重奏でちょっと追ってみましょう。
一番古い演奏はマルグリット・ロンやティボーたちが演奏したもので、
フォーレと同時代を生きた人の空気感を持っています。
共感が強く、微熱に浮かされたような渦が、今日とは違ったものが
あの時代にはあったと伝えます。
40年代のSPからの復刻です。
後はフランスのレーベルの雄、エラートの全集によるもので、そ
れぞれ5枚組みで3000円位で手に入ります。
70年前後のドワイアンたちの演奏には濃密な感情表現があり、演劇
的な感じがします。
80年前後のユボーたちの演奏は内的感情と表現のバランスがとれ
静かな視線を感じます。
2010年前後のカプソン兄弟たちの演奏は、演奏技術も一流、音質
も素晴らしいのですが、映画音楽を聴いているような少しクールな
感じがします。
もしフォーレの曲からひとつしか選べないとしたら私は「エレジー」
をとります。
それもジャクリーヌ・デュプレという女性のチェリストによるもの
です。
24歳の若さで、生きる喜びと哀愁をすべて表現してしまっているよ
うです。
どうしようもないほどの天才で美貌ですべてをかねそなえていた
ジャクリーヌでしたが、腕の故障などもあり後半生は必ずしも幸せ
とはいえませんでした。
天才は音で人生を語れるのだなと、思い知らされます。
すべてを燃やし尽くし、聴く私たちの胸まで焦がすような演奏です。

旬の音楽その11 秋の思い ウィグモア・リサイタル2012

旬の音楽その11 秋の思い
ウィグモア・リサイタル2012

秋は夏の終焉であり、訪れる冬の入り口です。
若者にとっては旺盛に生命を謳歌する夏も、老人にはただただ
厳しく身を痛めつける季節です。
そして、ギュッと縮こまって代謝を落とし、冬の寒さに耐える体勢
を作るこの時期。
不安定な気候もあって、夏の名残の肝臓の疲れや、迷走神経
の緊張からくる呼吸器の変動も起こり、精神的にもうつうつとし
た状態が続きます。
芸術の秋などという表現もありますが、行き場のない思いが心に
あふれ、考えても仕方のないことが頭から離れません。
この感覚は追いかけても充たされることはなく、新たな難問が私
たちの前に次々と現れます。
一過性のセンチメンタルな気分と割り切り、他人に当たらずに
しっとりと気分に浸るのが大人の秋の過ごし方でしょう。
今回ご紹介するCDは、そんな時にぴったりの珠玉の音がぎっ
しり詰め込まれています。
演奏者はピアノがマリア・ジョワン・ピリス、チェロがアントニオ・メセ
ネスです。
メセネスはブラジル人のためか表舞台に立つことがあまり多くな
いようですが、素朴で飾らない音楽に対する姿勢が素晴らしく、
音色に頼らずに抜群に上手いフレージングで音を紡いでいき
ます。
軽々としながら、美しく寸分の狂いもなく飛翔する音は、鳥が空
をいく軌跡のようにも感じます。
そんなメセネスを支持して共演者に迎えたピリスは世界を代表
するピアニストの一人です。
特にモーツァルトやショパンに定評があります。
柔らかく心が行き届いたタッチはいつも生まれたてのような無垢な
心の動きを感じさせます。
時折見せる厳しい音に、内なる激しい衝動を感じさせることもあ
ますが、決して声高にヒステリックになることはなく、静かで透明な
光に彩られた演奏で、祈りすら感じさせます。
曲は最初がシューベルトのアルペジオーネ・ソナタです。
肥大した自我意識が強いロマンチックな演奏が多いこの曲から、
二人は今を生きる私たちの日々の喜びや澱をていねいにすくい
あげています。
何かに凝り固まりがちな秋の私たちの思いを柔らかくほぐし、
息を深くさせてくれるようです。
私が大好きなブラームスの間奏曲3曲がピリスの独奏で続き、
心にそっと灯をともします。
メンデルスゾーン無言歌から1曲演奏され、メインの曲がブラーム
スのチェロ・ソナタ第1番です。
暗い炎を宿したこの曲を二人は激情に流されず、厳しい姿勢と
確実な歩みで、過去の苦さと共に生きようとしているように感じ
させます。
感傷的なフレーズからは時として愛おしい感情が湧き出ますが
感情に溺れず向き合うことでかえって、内なる思いの強さに心
打たれます。
最後はアンコールにバッハのアリアがおかれ、音楽の充実した
時の流れを祈りとともに終えます。
こんなコンサートに立ち会えたら本当に幸せでしょう。
けれど私たちはこんなに美しいものをいつでも好きな時に聴け
るという幸せもあります。
音楽の神様に感謝する瞬間です。
(このCDの輸入盤は2000円前後で手に入れることができます。
必要な方には取り寄せますので声をかけてください。)

旬の音楽その10 夏の夕の楽しみ ドビュッシー弦楽四重奏曲Ⅱ

旬の音楽その10 夏の夕の楽しみ
ドビュッシー弦楽四重奏曲Ⅱ

夏の音楽を思い浮かべる時、まず最初に出てくるのは、私の場
合はドビュッシーです。
感覚と知性を融合させ、それまでになかった音と響きを創造して
狭いところに閉じ込められていた感性を一気に開放しました。
ちょっと聴くと繊細で女性的なイメージがあるのですが、内面は近
代的たくましさと革新をになう気概に充ちていて、意外に骨太
です。
そんなドビュッシーですから、夏の暑さへの対処で代謝を高めて
疲れた心と身体をリセットして、新たな一歩を導くのに最適です。
特に日中の日差しが和らぎ、涼しい風が吹き始める心地よい夕
暮れ時にこれほどぴったりな音楽はありません。
ピアノ曲が特に有名なドビュッシーですが、今回おすすめするの
は弦楽四重奏曲です。
数多くの名演奏が残されている中、特に印象が強いのはメロス
弦楽四重奏団のものです。
このグループの音を一言で言えば、ストイックなまでの集中力とい
うところでしょうか。
美しく研ぎ澄まされた音が外に開放されていくのでなく、内へ内
へと収斂していきます。
しかし他のどの演奏より透徹しているのにクールでなく、今ここに
生まれてきたように無垢です。
禁欲的なほどの完璧な外面を持っているからかえって、内面の痛
いほどの官能の炎を感じます。
本当の美しさは自己抑制の内にあるものです。
新鮮なのに、どこか昔から知っているような懐かしさも覚えます。
子どもの時に感じていた、地上にいる自分を空の上から見てい
るもう一人の自分を同時に感じる感覚を思い起こさせる演奏で
す。
夏の暑い日に火照った身体と心を冷やしたり、疲れて雑念から逃
れられない時、自分を取り戻すのにこれほど有効な音楽はない
でしょう。
ラヴェルの弦楽四重奏もカップリングされていてこちらも永遠を願
う祈りのような演奏で名演です。
もう一つ最近お気に入りの演奏をご紹介します。
ほぼ同じ構成で、アルカント四重奏団が録音したものです。
アルカント四重奏団は今が旬の若い団体ですが、メンバーのソロ
としてのキャリアには定評があります。
とにかくテクニックが抜群で音に勢いがありますが、それが空回り
せず、お互いを生かしながら音の表情と明確な運動性を確保し
いくつもの旋律が一つの目標に向かって収斂していく様子は、
見事というしかありません。
鮮やかでありながら、艶やかで色彩的なようで、香気もあります。
こんな新しい人たちによる、新しい演奏が生まれるのなら、クラシ
ックの世界にはまだまだ可能性と未来があるのだなと希望が湧
いてきます。
聴いていて元気がでてくる音楽
です。
こちらのアルバムには、ドビッシーとラヴェルの曲の間にデュティ
ユーという現代音楽の曲が挟まれていますが、これがまたクールな
肌触りの中に官能性を宿したいい演奏です。
その曲が終わり、ラヴェルに移行する瞬間のふるいつきたくな
るような美しさには言葉もありません。
私はドビッシーを主に聴きたいときはメロスを、ラヴェルが主なと
きはアルカントをと、贅沢な選択を楽しんでいます。
みなさんにとっても暑い夏をのりきるための少しでも助けになれ
ばいいのですけれど。

旬の音楽 その9 天馬空をいく  ヘンデル「水上の音楽」他  セル/ロンドン交響楽団

旬の音楽 その9 天馬空をいく
セル/ロンドン交響楽団
ヘンデル「水上の音楽」他

季節にあった音楽で、まず私が思い起こすのがこのアルバムで
す。
ジョージ・セルという名指揮者がロンドン交響楽団を振って、ヘン
デルの管弦楽曲を録音しました。
常に前向きで、いつ聴いても楽しいヘンデルの音楽ですが、こ
の梅雨前後の心地よい気候ほどぴったりの時はありません。
一切の規制や抑圧から解き放たれ、胸が広がって息が深くなり、
今の一瞬を楽しみながら、次への歩みもすすめるような何ごとに
もかえられない爽快感があります。
梅雨のほんの合間など、いつそんな気候がくるか分からないの
で、いつも手元においてあります。
全く苦労の跡をみせず、次々に新しい展開を見せるヘンデルの
手腕は素晴らしいもので、バッハと並び称される存在と納得でき 
ます。
私には現代の音楽家ではエルトン・ジョンに近いものを感じます。
バッハと同年の1685年にドイツで生まれ幼いころから才能を発
揮して成功しました。
ハノーファ選帝侯のジョージⅠ世に仕えていましたが、不義理をし
たまま渡英しました。
けれどアン王女がなくなった後にやって来たのは、そのジョージ
Ⅰ世でした。
さすがのヘンデルも焦ったことでしょう。
王の気持をとりもつために作曲したのが「水上の音楽」だと伝え
られています。
テムズ川での舟遊びで、100人をこすオーケストラの壮大で美し
い音楽でジョージⅠ世の気持もなごんだことでしょう。
今の時代では考えられない贅沢ですが、庶民である私たちもステ 
レオでそれ以上かもしれない音を楽しむことができます。
セルは整然とし、キリッとしまった表情の高潔な音楽を作ることで
知られた指揮者です。
媚びを売る姿勢がまったく無く、どこにも隙がないため、冷たい
と評されることも多くありました。
けれどそんな格調の高さの内に熱い血潮を感じてしまうと、権威
よりも音楽の理想を追求したのだと感じられて、これほど豊かで心
を動かすものはなくなります。
特に手兵のクリーブランド管弦楽団を離れてヨーロッパのオーケス
トラを指揮したときには、リラックことが多くあります。
このアルバムもロンドン交響楽団という一流のオーケストラを振っ
たものですが、ロンドンは言うまでもなくヘンデルの本場です。
セルは時折こうした道場やぶりのようなことをして、これが本当の
音楽だという演奏で気概を見せることがあります。
現代では時代考証を経た、ヘンデルの時代のオリジナルな楽器
や構成での演奏が主力になっていますが、セルの音楽はその光
を失うことがなく、むしろ存在感を増しているように感じます。
ヘンデルが持つ天馬空をいくような爽快な逞しさと、叙情的な曲
でみせる胸が熱くなるような感情の高まり、理想を追求する迷い
のないストレートな表現はこれに勝るものはありません。
梅雨の前後や合間の心地よい一時、心と身体に翼が生えて、
雲といっしょに滑空しているようです。
ペガサスはいつもこんな気持なのかと想像が膨らみます。
音楽の力をもっとも感じる瞬間のひとつです。

このCDは7月の旬宴の会でかける予定です。
旬宴の会の今後の予定は
6月「最前戦のモーッアルト」しゃ
ちょー
7月「完全主義者のロマン・ジョー
ジ・セルの場合」しゃちょー
8月「未定」内片健二
9月「クラシックの有名曲あれこれ
」宮岡五百里
10月「誰も知らないレッド・ツェッ
ペリン」小倉博行
11月「アナログで聴くビル・エバ
ンス」しゃちょー
12月「未定」吉良創
以降未定となっています。
日時はいずれも第3の火曜日、
11月・12月は第一火曜です。

旬の音楽 その8 美と苦み メロス四重奏団 「モーツァルト弦楽五重奏曲集」

旬の音楽 その8 美と苦み
メロス四重奏団
「モーツァルト弦楽五重奏曲集」

多くの人の心をつかむモーツァルトの音楽。
バッハとともに、終生飽きずに楽しむことができます。
綺羅星のごとくの天才揃いのクラシックの作曲家たちのなかで、
どうしてここまで支持されるのでしょうか?
まずモーツァルトの音楽で私たちが思い浮かべるのは、旋律の美
しさと流れの自然さです。
どこにも作為の後を感じさせずわざとらしさが無いのに、自然に
心の奥まで届くものがあります。
映画「アマデウス」では自然児のワイルドなモーッアルトとして描か
れていましたが、そういう部分はもちろん男としてあったでしょう。
卑猥な話や悪い冗談も好きな一面もありましたが、もっと童心
で傷つきやすい姿が想像されます。
丸ぽちゃで、目がくりくりしたおしゃべり好き、私はポール・マッカ
ートニーをイメージしています。
子どもの心を持ったまま大人になってしまったピーターパンのよ
うな天才児です。
幼少から天才として扱われ、性格の素直さもあって皆に可愛がられ
て育ちました。
そのけがれのない素直な感性を、そのまま音に表現できる類まれな
才能を持っていました。
たぶん、モーツァルトと同じような才能を持って生まれた人も長い
歴史の中にはいたでしょう。
けれどそれを花開かせるためには、周囲の理解や人間性を育む
土壌が必要なのです。
モーツァルトは上手に、大切に育てられたおかげで身につけた
上品さがあり、それが洗練され、磨きぬかれた表現として結実し
たのでした。
けれど世の中はそう甘くはありません。
大人になったモーツァルトが思っているようには世に理解されず、
こんなはずではないと思い悩んだことも多いでしょう。
またモーツァルトには全く理解することが出来なかっただろう人間
の悪意に翻弄されたことも多かったに違いありません。
天才として生まれた悩み、世に天才として認められている以上、
凡人たちとそれなりに付き合っていかなければならない悩みなど、
私たちには考えることもできないようなことも多かったでしょう。
作品のうちにも、特に短調の曲にそうした感覚が反映され、深い
淵を覗きこんだような感覚を持つこともあります。
しかしその表現はあくまでノーブルで洗練され、上品なのです。
その辺が誤解を受け、きれいなだけの音楽と捉えられることもあ
り、事実そうした傾向の演奏も多くあります。
ある頭のいいお客さんがモーツァルトを評して「あんな権威的な
音楽はない」と言っていたのを聞いてショックを受けたことがありま
した。
私からすればもっとも権威から遠い音楽に感じられます。
けれどその音楽の、洗練され直接的でない感情の表現と、一般
の様式化され固定された表現方法を見れば、そうした感想もあり
えるのだろうと思います。
事実私も震災以降モーツァルトを受け付けない時間が長くあり
ました。
あれほど好きだった純真さ、上品さに抵抗を感じてしまうのです。
替りに心に入ってきたのはベートーベンの後期の弦楽四重奏とピ
アノソナタでした。
胸の内で凝縮したものをずっとかかえて、忘れることなしに何か
が芽ばえ熟成されるのを待っているようでした。
2年立ち、最近やっとモーツァルトを聴く気持になってきたのです
が、求めるものは以前とは少し違ったものになっていました。
ひたすら純真で美しいちょっと能天気な演奏は受け付けず、少
し生きる苦味やシリアスも感じさせながら、それでも永遠の美を
目指すような、現代の状況を引きうけながらもそれでも前進しよう
とするひたむきさを共有できるようなものが聴きたくなります。
そうした演奏の中での一番の私のお気に入りは、メロス四重奏団
が弦楽五重奏を録音したものです。
この2曲はモーツァルト31才の油が乗り切って創作欲に燃えてい
た頃の作品です。
ハ長調とト短調という、最後の2曲の交響曲でも使った同じパタ
ーンで同時に作曲されました。
天馬空を行くような曇りなく伸びやかなハ長調と、胸に迫る疾走
する哀切を秘めたト短調という対照的な作風を同時にこなしたと
いうよりは、二つの世界が同時に見えそれを音にしたモーツァルト
の才能と感性には驚くしかありません。
その素晴らしい作品を、絵空事でなく今に生きる私たちの求める
美として再現したのは、メロス四重奏団という1970年頃から30年
ほどドイツを中心に活躍したグループです。
美しい音色と端整な表情が魅力ですが、どこか突き放したような
クールさがあります。
自己陶酔など考えられないほど音楽に集中し透徹した演奏をし
ました。
冷たくもならず、しかも音楽に入りこんで新しい世界を切り開く様
は、他とは次元の違うものと私には感じられ、最も好きなカルテッ
トの一つです。
そんな彼らですから、上品で伸びやかな音の中にも少しシニカ
ルな苦味が感じられ、全面的に感性を開放は出来ずに生きる私
たちの琴線に触れる真摯な音楽を繰り広げます。
最初は地味に感じる音が、聴くに従ってその真価を発揮し何度
聴いても飽きません。
決して声高にはならず、淡々と音を紡いでいくのですが、絶妙な
間から切々と訴えるものがあります。
ハ長調のK515番の第2楽章のメヌエットの舞曲から優雅さだけ
でなく、哀愁や遠いあこがれが湧出します。
音楽を聴くうちに胸の中から暖かいものがあふれ出て時間が止ま
り、広い空間を自由に流動しているような感覚、私が音楽の魔法
と呼んでいる瞬間が幾度となくあらわれます。
深い森の中にある特別の場所のように、私たちの心に深く根を張
り栄養を補給してくれているようです。
春にぴったりのモーツァルトですが、この演奏は楽しいときも辛い
時も、心静かな日も荒れ狂っていたたまれない日にも心を充た
してくれるでしょう。
(このCDは6月の旬宴の会でかける予定です。
旬宴の会の今後の予定は
3月「リズムセクションと低音の楽
しみ」内片健二
4月「アナログで聴くJAZZの名
盤」しゃちょー
5月「ブルースの神髄・ロバート・
ジョンソン」小倉博行
6月「最前戦のモーツァルト」しゃ
ちょー
7月「完全主義者のロマン・ジョー
ジ・セルの場合」しゃちょー
8月「未定」
9月「クラシックの有名曲あれこれ
」宮岡五百里
10月「誰も知らないレッド・ツェッ
ペリン」小倉博行
以降未定となっています。
日時はいずれも第3の火曜日で
す。

旬の音楽 その7 忙中閑あり 「ベートーベン弦楽四重奏第12番」ズスケ四重奏団

旬の音楽 その7 忙中閑あり
ズスケ四重奏団
「ベートーベン弦楽四重奏第12番」

車の交通量も多く、道行く人もなにかとせわしなく、年末の時は
慌しく過ぎていきます。
私たち人間は社会的な生き物なのですから、みんなに付き合って
忙しくするのは当然なのですが、それでもそれだけでは自分を見
失い、ただ疲れて虚しさだけが残ります。
そんな渦の中でほっと一息いれるのには、ただぬるい湯につか
るような癒し系の音楽では物足りません。
明確な意思と方向を持ちながらも、生きる原点を取り戻させてく
れるような生きる喜びを感じさせてくれるものが聴きたくなります。
私の場合はベートーベンです。
震災以降、何故かモーツァルトを受け付けなくなり、ベートーベ
ンを聴く機会が増えています。
辛い時代の支えにこれほどぴったりなものはないかもしれません。
その中で一番聴くことが多いのがこのズスケ四重奏団による弦楽
四重奏第12番です。
よくバッハの平均律クラビーア曲集が旧約聖書に喩えられるよう
に、ベートーベンの弦楽四重奏は新約聖書といわれます。
弦楽四重奏曲はベートーベンにとってもっとも重要なジャンルで
すが、生涯にわたってコンスタントに創作していたわけではなく、
前期、中期、後期とまとめて作っていました。
第12番は、後期の幕開けとなる曲です。
久々にこのジャンルに帰ってきた喜びが率直に音楽に現れて
います。
耳の障害や健康問題、周囲との軋轢など、楽しいばかりであるは
ずはありませんが、創造の悦びはそれらを乗り越え、様々なアイ
デアが湧き、音がほとばしります。
そんな曲の良さを私に教えてくれたのが、ズスケ四重奏団です。
旧東ドイツを代表する楽団で、能率や合理主義の香りを感じま
せん。
慌てずに育て、じっくりと熟成した珠玉のような音たちが空間に
充ちるとき、人間本来のものに立ち返り、周囲をゆっくり見渡せ
るような気がします。
ひたすらに美しいのですが、美とは、ただのきれいごとではなく
努力によってえられるものであることも確実に伝えます。
12月ばかりでなく、年間を通して楽しめる弦楽四重奏の最高傑作
のひとつです。

旬の音楽 その6 秋の夜に沁みる ビル・エバンスTrio「エクスプロレーションズ」

旬の音楽 その6 秋の夜に沁みる
ビル・エバンスTrio「エクスプロレーションズ」

アメリカが生んだ最高傑作は、兵器でも、マクドナルドでも、ディ
ズニーでもなく、ジャズだと私は思っています。
メロディーは解体され、極限まで追求されたビート感にのって、切
実な叫びとなって私たちに届きます。
テクニック、情動、意思と効果が一体となった人類最強の音楽と
なりました。
そこには当然、そこまで達成しなければいたたまれない社会の状
況の厳しさというものもあり、そのためどこか、きな臭いものがつき
まといます。
それがまた魅力でもありますが、ずっとは聴き続けれらない理由
でもあります。
けれどその焦燥感さえある切実さは、秋の迷走神経が緊張した
物憂い雰囲気にぴったりなのです。
幾多あるジャズの名盤の中で、私が最も好きなのはビル・エバン
ストリオの「エクスプロレーションズ」です。
「探求」と訳すのでしょうか、このアルバムでは若き天才エバンス
が既成の方法や概念、感覚を透過したエッセンスのような演奏を
繰り広げます。
新鮮で濁りがなく、静謐で孤高、それなのに冷徹でなく、むしろ微
熱にうかされたような官能性も感じます。
音の数を減らして、一音一音に譲れない力と必然性を持たせ、
虚無の空間に放たれた、エバンスのリリシズムの極地です。
物憂い中から静かな叙情が流動する一曲めの「イスラエル」で私
は異次元に誘われます。
「ビューティフル・ラブ」では結晶化した情熱が心の中を駆け巡り、
LPではB面の一曲目だった「ナーディス」では、ベースのスコット・
ラファロのソロも素晴らしく、地底を静かに流れる河を覗き込んで
いるような精緻で、静謐な世界が繰り広げられます。
エバンスは音楽に新しいアプローチの方法を形成し、以降の音
楽家たちはそれを意識したり、消化しなければ前へ進めなくなりま
した。
歴史に刻まれた鋭く高い到達点ですが、決して押し付けがましく
も、暑苦しくもありません。
こちらが耳を澄まし、心を開くと、それに応じて多くのことを語りか
けてくれます。
秋だけでなく、一生の同伴者として、心を満たしてくれる音楽です。

旬の音楽 その4 秋の夜長に メンデルスゾーン無言歌集

旬の音楽 その4 秋の夜長に
メンデルスゾーン無言歌集

「品格」という言葉があります。
格というのは、格が違う、とか、格が上、などという時に使われ、決
まった形や身分などを表現しています。
人間としてどれだけ偉いか、人を圧する強さや、なんとはなしに言
うことを聞いてしまうような持って生まれた力などをさします。
品の方は反対に、どれだけ自分が他人を頼っているかを知って
いる、弱さを自覚しながらも他人を気遣う感覚です。
品の極みは、瀕死の状態にありながら残るひとたちを思いやる状
態です。
日本では昔から、格と品を合わせもってはじめて人間として完成
されると考えられてきました。
前置きが大変に長くなってしまいましたが、ワルター・ギーゼキング
という名ピアニストが弾く、メンデルスゾーンの「無言歌」を聴くとき、
「品格」以上にイメージにぴったりの言葉はありません。
メンデルスゾーンは古典的な均整のとれた美しさのある曲をたく
さん残したロマン派の作曲家です。
才能にも、周囲の理解や名声にも、経済的にも、教養にも恵まれ
ていました。
本当に上品で育ちの良い人は、自慢したり、強がったりしないも
のです。
メンデルスゾーンの作った曲にはいつも優しい眼差しと、伸びやか
な感性の飛翔が感じられます。
「無言歌」は特にしっとりと、密やかな胸の内を柔らかく表現した
曲です。
ギーゼキングは大変なテクニシャンで音の美しさには定評のある
人です。
ここでは技術をひけらかさずに、淡々と、しかし私たちがほんの少
しでも心を開いていればやさしい風のように頬をなでるほどの強さ
で演奏しています。
ゆったりと奏でられる親しみやすいメロディーですが、内に秘めた
力の支えによって、聴く者をまどろむようで静謐でありながら、心
の深いところにたちかえらせます。
秋の夜長に昔のことを思い出したり、遠くの人を思ったりする時
これほどぴったりの音楽はありません。
毎日聴いても飽きない懐の深さと、喜びも哀しみとたくさん知っ
ている人間としての滋味にあふれ、これこそ品格と感じます。
寝つきの悪い人たちにも、心を鎮め、安らかな気持をもたらして
くれる最高級の誘眠効果を持っているのでお奨めできます。

(このCDは、hmv他で1500円で手に入れることができます。
必要な方にはお取り寄せしますので声をかけてください。)

旬の音楽 その3 秋の先取り  ブルックナー交響曲第4番

旬の音楽 その3 秋の先取り
ブルックナー交響曲第4番

身体と感受性の関わりからみた人間には、大きく分けて2種類あ
ります。
一つは、感受性が先行して身体が付いていくタイプです。
気の持ちようによって身体が変わりやすいこの人たちは、積極
的、能動的に人生を生きようとします。
もう一つは、身体が変わることによって、感受性が変わっていくタ
イプです。
受動的ですが、じっくりと生きることにとりくむことができます。
これは持って生まれた個性なので、どちらがいいとかいうことは
ありませんが、それを生かすことでしか個性を発揮して自分らし
く生きることはできません。
秋になると、冬への準備が始まり、皮膚や骨盤が引き締まって、寒
さに耐え、代謝を落として最低限の食物で大丈夫なように身体が
変わっていきます。
気の早い私などは明らかに前者のタイプで、まだ暑い8月中旬に
は、風の中に秋を感じ、ちょっと欝めいた、胸をせばめて物思い
にふけるような体勢と心のもち方が始ります。
こんな時、一年のうちこの時期しか聴くことがないブルックナーの
交響曲にひかれ始めます。
ブルックナーは19世紀の末にウィーンで活躍した作曲家ですが、
ワーグナーやベートーベンを敬愛していたそうです。
敬虔なカトリックであり、オルガニストでもあったため、交響曲の中
にもオルガンのような豊かな響きが随所にみられ、作品は神への
信仰告白ともいえるでしょう。
この第4交響曲は、自然交響曲とも呼ばれ、自然の壮大なうつろ
いや人の営みが描かれています。
おすすめの演奏はギュンター・ヴァントという当時90歳を超えた
老巨匠が、ベルリン・フィルを指揮したものです。
静謐と情熱、純粋と壮大が同居しています。
秋の迷走神経の緊張で狭まった胸が広がり、しばしの心の開放を
もたらしてくれます。
ブルックナーの神秘性やロマンよりは、明晰な光や未来への希
望を感じさせる演奏です。
ブルックナーは南ドイツやオーストリアで支持され、北ドイツではあ
まり演奏されませんでした。
演奏経験の乏しいベルリン・フィルから要請があった時、ヴァント
は通常の数倍のリハーサル時間を要求したそうです。
輝かしいベルリン・フィルの音に命が注ぎ込まれ、一瞬一瞬が透
明な美しさに包まれているのに、それがただの瞬間でなく永遠に
つながっているのを感じます。
ヴァントの指揮棒から何か生き物のようなものがするすると伸び、
それが線となり、綾となり空間に紡がれたものが、いつか宇宙か
らも何かが伸びてきてコンタクトし、永遠のときを垣間見るような
光景をイメージします。
こうした優れた芸術作品に出会うと、生きることや、老いること死
にも意味があるのだなと思うことがあります。
季節のそして人生の秋にぴったりの音楽です。

このCDは、hmvで1680円で手に入れることができます。

旬の音楽 その2 夏の夕の楽しみ ドビュッシー弦楽四重奏

旬の音楽 その2 夏の夕の楽しみ
ドビュッシー弦楽四重奏
夏の音楽を思い浮かべる時、まず最初に出てくるのは、私の場
合はドビュッシーです。
感覚と知性を融合させ、それまでになかった音と響きを創造して
狭いところに閉じ込められていた感性を一気に開放しました。
ちょっと聴くと繊細で女性的なイメージがあるのですが、内面は近
代的たくましさと革新をになう気概に充ちていて、意外に骨太
です。
そんなドビュッシーですから、夏の暑さへの対処で代謝を高めて
疲れた心と身体をリセットして、新たな一歩を導くのに最適です。
特に日中の日差しが和らぎ、涼しい風が吹き始める心地よい夕
暮れ時にこれほどぴったりな音楽はありません。
ピアノ曲が特に有名なドビュッシーですが、今回おすすめするの
は弦楽四重奏曲です。
数多くの名演奏が残されている中、特に印象が強いのはメロス
弦楽四重奏団のものです。
このグループの音を一言で言えば、ストイックなまでの集中力とい
うところでしょうか。
美しく研ぎ澄まされた音が外に開放されていくのでなく、内へ内
へと収斂していきます。
しかし他のどの演奏より透徹しているのにクールでなく、今ここに
生まれてきたように無垢です。
禁欲的なほどの完璧な外面を持っているからかえって、内面の痛
いほどの官能の炎を感じます。
本当の美しさは自己抑制の内にあるものです。
新鮮なのに、どこか昔から知っているような懐かしさも覚えます。
子どもの時に感じていた、地上にいる自分を空の上から見てい
るもう一人の自分を同時に感じる感覚を思い起こさせる演奏で
す。
夏の暑い日に火照った身体と心を冷やしたり、疲れて雑念から逃
れられない時、自分を取り戻すのにこれほど有効な音楽はない
でしょう。
ラヴェルの弦楽四重奏もカップリングされていてこちらも永遠を願
う祈りのような演奏で名演です。
hmvで1722円で手に入ります。