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生きる技術 番外その6 暑さへの対処

生きる技術 番外その6
暑さへの対処

厳しい気候が続いています。
気温が高いだけでなく、湿度もある
ため、雑菌が繁殖しやすく、免疫機
構に負担がかかっています。
そのため身体は良質のミネラルや
酵素を求めています。
汗によって体内のミネラルが失われ
るため、バランスの良いミネラルがど
うしても必要になります。
ミネラルの欠乏で免疫力は制限さ
れ、無気力になったりもします。
また酵素は免疫が働くためには絶
対に不可欠の成分です。
体内でも作ることができますが、そ
れにはエネルギーを必要とするの
で、食物としてとる方が効率がいい
のです。
酵素はたんぱく質の一種ですが、
その種類によって様々な働きをしま
す。
ただ加熱すると壊れてしまうため、
生のまま食べるのが有効です。
話題の甘酒などの発酵食品は酵素
の宝庫です。
きゅうりに味噌をつけて食べるなど
というのは全く理にかなった夏の食
事です。
果物にも酵素は豊富に含まれてい
ます。
チーズやヨーグルトも美味しく感じ、
実際に有効です。
「醍醐のしずく」というお酒も酵素が
豊富でとても美味しく感じます。
酒かすももちろん役にたちます。
水分もたっぷりとり、汗もしっかりか
いても、それでも腎臓にかかる負担
は大きく、尿が茶色だったりします。
免疫が働いて老廃物を体外に排出
しているのです。
腎臓がくたびれると無気力で、身体
が動かなくなります。
尿と汗は同じ成分なので、できるだ
け汗として排出すれば腎臓の負担
は軽くなります。
腎臓がくたびれたまま秋になると、
今度は夏の疲れが肝臓にいき、腎
肝同時に疲れて身動きがとれなく
なります。
できるだけ汗をかいたほうがいいの
はそのためです。
この暑さのため、エアコンは不可欠
と思いますが、温度は汗をうっすら
かく程度で29℃前後をおすすめし
ます。
またこの時期の首の冷えには特に
注意が必要です。
汗をかいたまま冷たい風にあたると
即座に冷えてしまいます。
再度すぐに汗をかくと回復しますが、
内攻して長期化すると身体に大きな
負担をかけます。
内臓に負担がかかり、働きが弱まっ
て食欲不振や栄養の不足となり、体
力の衰えと免疫の低下で余計に身
体が弱ります。
冷たい飲み物に頼っていても同じよ
うに内臓が冷えて弱ります。
冷たいものを摂っても、その後に熱
いお茶や味噌汁をとることで感覚は
リセットし、冷えを回避できます。
また首にタオルをまいておくと、適
度に汗をかきながら、冷えないよう
に吸い取ってくれるので、冷えの予
防や体力の維持に有効です。
始めはベタベタとしている汗ですが、
身体の老廃物をだしきってくると、さ
らっとして、まとわりつかないものに
変ってきます。
本当に身体に有効な汗はそうしたも
のですが、なかなかそこまで出し切
るのには時間がかかります。
冷えをそのまま放置すると、内蔵だ
けでなく、循環器系にも問題が生じ
ます。
血行が悪くなるので、体力が落ちま
すが、首の冷えは特に頭の血行と
関係があります。
冷えることで首が硬くなり、血行が
悪くなります。
人間は血の半分以上を頭で使って
ます。
左側から上り、右から下がってきま
す。
左の首が硬いと血の不足で頭が働
ず、右が硬くなっていると血がたま
って頭の中が勝手に余分なこと
を考えてまとまりません。
何れの状態も脳梗塞の原因となり
ます。
首は決して冷やしてはいけない大
事な場所なのです。
暑さを感じなくするために首に冷た
いものをまいたりするのは、その時
は心地よくても病気を作るもとです。
絶対に避けていただきたいことです。
唯一冷やすのが有効なのが、熱中
症の時に、頭のてっぺんを冷やす
ことで、タオルに氷を包んでのせる
と、症状の緩和に役立ちます。
暑さへの対処として20分から40分
ほどの昼寝はとても有効です。
本当は暑い時は働かなほうがいい
のですが、残念ながらそうも言って
いられません。
時間の許す方はご利用下さい。
また湿気が多いために呼吸器もくた
びれやすくなっています。
同じだけ肺が動いても、湿気がある
と酸素の吸収が少ないのです。
そのため余分に動かざるをえません。
またこういう時は、睡眠しても酸欠状
態のため、疲れがなかなか抜けませ
ん。
気温が25℃以上だと熟睡できない
ようですが、それとあいまって、余計
に疲れが蓄積します。
夏は老人にとって本当に疲れる時
です。
子どもはメキメキ成長し、老人はメッ
キリ衰える明暗を分けるときです。
そういう意味でこの時期をどう過ご
すかで、この一年の過ごし方が左右
されるとても大事なときです。
暑さをやりすごしながらも、先の楽し
みを維持できるような過ごし方が、人
の嗜みとして試されます。
きびしい暑さの中、冷えたすいかの
美味しさは喩えようもありません。
わらび餅やくず餅も夏の体力の維持
には役に立ち、実際美味しく感じま
す。
身体が付かれきった時の熱いお茶
やスープは身体の芯にしみいる美
味しさを感じます。
ノンアルコールビールに救われると
きもあるでしょう。
厳しさの中だからこそ味わえる楽し
みもあります。

生きる技術 番外その5 梅雨時のだるさ

梅雨時のだるさ
湿気の多い天候が続き、身体の中
にも水分が溜まって、身体が重く
だるい感じがあります。
熱いお茶やお風呂に入って汗を
かくと、すっきりと気持ちよくなり、
身体の内側から動きや要求がで
てきて、積極的な感覚がよみがえ
ります。
汗をかくことで疲れている腎臓が
働かなくてもすむためで、汗をか
く状態を保つことがこの季節には
とても大切です。
もうひとつ注意が必要なのが、呼
吸器の疲労による酸欠状態です。
湿度が多く、気圧も低いので、い
つもと同じように肺が働いていても
酸素を体内に吸収しにくくなって
います。
そして酸素は脳で半分以上を消費
します。
そのため頭がボーっとした状態に
なりやすく、考えがまとまりません。
また睡眠しても疲れが抜けにくい
ので、いつも眠いような感じで、よ
けいに頭が働きません。
よぶんなことを考えずに、ゆっくりと
生きることもいいことなので、これも
また必要なことかもしれませんが、
この疲れが残ったまま暑い夏をむ
かえると、体力がよけいに消耗し、
冷たいものやエアコンに頼って、
疲れがまた蓄積する悪循環にお
ちいります。
また血行が悪くなり、脳梗塞などの
原因にもなります。
血液は左の首から頭にゆき、右の
首から心臓に降りてきます。
そのため左の首が硬くなっている
と、脳にいく血が少なくなり、よけい
に頭が働きません。
時折暑くなるこの季節は、首にか
いた汗が、風やエアコンで冷えの
原因になり、首がかたくなりやすい
のです。
首がほんのりと汗をかける状態を
維持し、冷えから守るためにタオル
や薄布をまいておくと、とても心地
よく、体調の維持にとても有効で
す。
竹布のマフラーなどは涼しくて、汗
もとり、冷えにも対応できて、この
季節にはうってつけです。
暑いお茶だけでなく、あんこのお
菓子も梅雨から夏にかけてのこの
時期の疲れをとるめのにとても役
にたちます。
小豆には解毒作用があり、身体の
むくみや疲労に有効です。
水ようかんが美味しく感じるのには
それなりの理由があります。
晴屋の小豆や小豆の水煮は格別
に美味しいので利用されることを
おすすめします。
特に小豆の水煮は5分煮れば、あ
んこやぜんざいが出来てしまう手
軽さなのに、味はとびっきりの本格
派です。
実はこの小豆は「はら山」の和菓子
にも使われている、北海道産の無
肥料自然栽培のもので、風味の
良さ、味の奥深さ、アクのなさなど
どこにだしても恥ずかしくないスグ
レモノです。
もうひとつのおすすめは「屋久島
縄文水」です。
水の良し悪しを一言で説明するの
は難しいのですが、不純物が入っ
ていないことの他に、クラスターと
いう分子集団を作っていない、さ
らっとして吸収のよいものであるこ
とが必要です。
縄文水を飲むと、身体にすっと吸
収されるのが実感できます。
こうした水は腎臓の働きを助け、
血行もよくなります。
汗はでなくても、体内での水の循
環が悪くなるこの時期には特にお
すすめです。

生きる技術 番外その4 新緑の季節の清清しさと憂鬱

生きる技術 番外その4
新緑の季節の清清しさと憂鬱

5月の木々を渡る風は新緑をきら
めかせ、緑の風と呼びたくなりま
す。
光あふれるこの季節、青い空に白
い雲も表情を添え戸外にいるのが
心地よい時も多くあります。
けれど暑く汗ばむ時があるかと思
うと、冷たい風にさらされたりもしま
す。
冬と夏がせめぎあい、光と影、熱
と冷、陽と陰が交錯します。
野菜も端境期。
身体を温める滋養たっぷりの冬の
野菜と、身体を冷やし鎮める夏の
野菜が入れ替わります。
何をたべていいかよくわからない
この季節には、食べ物だけでなく
私たちの身体の中でも葛藤があり
ます。
言葉にすると面白くなくなってしま
うのですが、空が青いのは空気が
青い光だけを吸収せず反射する
ためです。
そのため紫外線は四方八方から
やってきます。
そして新緑の植物の葉は赤だけを
吸収し、あとは反射するので、余計
に紫外線が強くなります。
私たちもまだ強い日差しになれて
いません。
そのためこの季節は意外なほどに
眼が疲れやすくなります。
眼の疲れは迷走神経を緊張させ
全身の疲れとして感じます。
また乾燥やほこり、花粉などのため
気管に負担がかかり咳がでやすく
なります。
私たちが魚類から進化する過程で
横隔膜などの呼吸器の筋肉が足
りなくなり、顔の筋肉を無理に胸に
持ってきました。
そのために神経が首を通って迷走
するので迷走神経と名づけられま
した。
首という細くて制約のある場所を
通っているため、温度の変化や風
などの影響を大きく受けます。
目の疲れや気温の大きな変化の
ため、迷走神経が緊張し呼吸器に
負担がかかります。
私たちは食べなくても一週間以上
は生き続けられ、水を飲まなくても
3日ほどは持ちますが、空気を吸
わなければ5分と持ちません。
呼吸器の疲れはとても体調に
影響します。
呼吸器が疲れていると酸素の吸
収が悪くなり、何事もめんどくさく
なり、睡眠をとっても疲れが抜けま
せん。
そのため余計に疲れが蓄積して
悪循環におちいります。
気分が暗くなり、頭も働かず、何事
にも不精になった状態、それが
五月病とか、欝とかいわれている
ものです。
外で楽しみたくなる気候と内なる
沈んだ気分の両極端がこの季節
の特徴といえるでしょう。
まだ冬に溜めこんだ老廃物の処
理も完全には終わっていないこの
時期、肝臓や腎臓のケアをして冬
の疲れをとると同時に、夏へ向か
い代謝を上げ雑菌などへの免疫
力を高めていかなければならない、
とても微妙で難しい季節です。
沈みがちになる気分と、内にもた
げる荒々しさのどちらにも加担せ
ず、静かに遠い目をして季節のう
つろいを楽しむのが、この季節の
大人の過ごし方でしょう。
パソコンやテレビ、スマホの画面を
みる機会をできるだけ減らして眼
を休めます。
目薬で疲労感を誤魔化せば、疲
れはますます溜まり偏頭痛や呼吸
器などのトラブルに至ります。
眼の疲れをとる方法としておすす
めなのが、温湿布です。
熱くしたタオルで眼とこめかみを
覆い、20分ほど横になって眼と全
身を休めます。
ボール等に熱いお湯を用意して
おき、何度か絞って温度を維持し
ます。
自分でやっても効果はありますが、
誰かに協力してタオルをしぼって
もらった方がより効きます。
これはこの季節の疲れだけでなく、
日常的にパソコンに長く付き合わ
ざるをえない人たちにも有効です。
現代では5月の躁と欝がせめぎあ
う状態が、日常的に続いていると
いってもいいのかもしれません。
テレビからまき散らされる意味の
ない明るさや元気さは、かえって
半面の闇や暗さを増幅しているで
しょう。
眼の疲れの根と影響は意外なほど
深いものがあります。

生きる技術 その6 首のこわばり

生きる技術 その6
首のこわばり
首は、頭と身体のつなぎ目であり、
血管や神経が集中している急所で
す。
大切でもっとも弱い部分でもあり、
首を切るというのは命を奪うことと同
じ意味になります。
首がまわらないという表現は、緊張
のため首が固くなって動かない感
覚をあらわしています。
けれどこの時、首をいくらもみほぐ
しても何の解決にもなりません。
原因は緊張を強いるものがあるた
めなのですから、それを取り除かな
ければ意味がありません。
実際、それを自覚し対処すると首
はすぐに反応し柔らかくなってい
きます。
首は不用意に強く押したり、もんだ
りするとかえって身体全体のバラン
スが狂い、体調を悪化させることが
多くあります。
現代人はどうしても画面を見る機
会が多く、目が疲れます。
その場合は目の温湿布で緊張を
とります。
横になって20分ほど、熱いお湯を
用意しておいて、タオルを何度か
暖めなおして休みます。
こめかみも神経が通っているので
いっしょに暖めると効果的です。
偏頭痛といわれているものも多く
は、目の疲れです。
目の周囲やこめかみに手をそえて
気を集注するのも効果的です。
目の疲れとともに多いのが迷走神
経の緊張や疲れです。
迷走神経は魚類が陸上に進出す
る時に、肺の筋肉が足りなかった
ために顔の筋肉を流用し、そのた
めに神経が顔の下から首を通って
長い経路を通って「迷走」し、呼吸
器や内臓まで至っているためにそ
の名がつきました。
首を通過するために、トラブルを
起こしやすくなります。
その一番の元は冷えです。
首は守るものが少ないため、温度
の変化が直接神経に影響を与え
ます。
汗をかいた状態で冷たい風に当た
るのは最悪ですが、そうでなくても
冷やさないよう、風にあたらないよ
うにケアが必要です。
そのために竹布等の薄い布を首
に巻いておくのはとても有効です。
冬だけでなく、夏もエアコンへの対
処にもなります。
迷走神経の身体への影響の範囲
は意外なほど広く、発汗や呼吸、
胃腸の働きなどを司っています。
首のこわばりはそうした部分に異
常があるという信号です。
首の左右の固さを確認して、原因
をさぐります。
左側の場合は、左手の疲れや呼吸
器、睡眠の質との関わりが多くあり
ます。
右側の場合は、右手の疲れや胃
腸の働き、感情の抑制や血圧の変
動等との関わりが多くあります。
腕のどこかにそれと対応する場所
があるので、そこに指をあてて気を
集めると、すぐに首の表情が変わ
ってきます。
その後、同じ側の脇の下の筋肉も
触っておきます。
厚くなっている場合は要注意で、
おりにふれそこをつまんでほぐし
ます。
そこが極端に厚くなり動かなくなる
と脳梗塞一歩手前です。
血管は左の首を通って脳に血液を
おくり、右の首からまた心臓に戻し
ます。
ですから首は血行にもとても関係
があるのです。
左の首が固く強張っていると、脳に
いく血液が少なくなり、頭が働かず
ぼうっとした感じになります。
右の首が固ければ、頭に血が溜ま
り変に空回りし、一人相撲をとって
妙な妄想におちいります。
ですから首は絶対に冷やして固く
してはいけない場所なので、夏に
首を冷やすなどというのは論外で、
脳梗塞の原因を増やしています。
お年寄りたちにそうしたことをすす
めるというのに悪意すら感じます。
実際それによって体調を崩してい
る人たちを多くみかけました。
首の状態は鳩尾でも確認できます。
ミゾオチと読み、左右の肋骨の合
さった場所から指3本ほど下で、胃
の辺りになります。
この場所は触ってみて「虚」と言わ
れる抵抗なく入っていくような柔ら
かい感覚が正常です。
固くなっている場合は頭と身体が
別々になっている状態です。
ですから鳩尾の固い人の話は信用
できませんし、また話ていても嫌な
圧迫感を感じます。
私たちは無意識にそうしたことを感
じて、人を判断しています。
ここも首と同じで急所なので強く触
ってはいけない場所です。
武術では攻めるべき処ですが、気
絶したり命が途絶えることもありま
す。
体調の維持は他人まかせにはで
きません。
お医者さんが私たちを生かしてい
るのではありません。
私たちは自分の力で生きられるよ
うにこの世に生まれています。
他人のせい、他からの刺激のせい
にせず、自分の問題として自らの
身体と感性に向き合うのが、健康
にくらすための第一歩です。

生きる技術 番外その3 春の兆し

生きる技術 番外その3
春の兆し

私たち人間も動物なので、自然の
中で生き抜く本能を色濃くもって
います。
冬は食べるものも少なく、寒さにも
耐えなくてはなりません。
そのため代謝を落としてエネルギ
ーの消費を減らし、寒さの影響を
受けにくくするため皮膚を縮めて
固くし、骨盤などもしめて、身体を
縮めた集中した体勢になります。
身体と共に感受性もピシッとしまっ
たものになります。
集中することが好きな人たちには、
それなりに快感のある季節です。
けれどずっとこのままというわけに
はいきません。
夏には代謝を上げて免疫力を増
やし、雑菌に侵されない身体を作
らなければなりません。
この変化はそう簡単ではなく、徐々
に進んでいきます。
また変化の仕方や順番も人によっ
てまちまちです。
気温が上がってから身体が変わり、
感受性もそれにともなって変わって
くるゆっくりした人もいます。
気温の変化が始まる前から兆しを
感じ、感受性の変化とともに身体
が変わってくる気の早い人もいます。
私などは明らかに後者で、いつも
1月10日前後に春の兆しを感じ、
ほわっとした気分になり、鼻がくす
ぐられるような感覚があります。
この変化が始まると皮膚が緩んで
いきかゆみが出たりし、骨盤や肩甲
骨は左右交互に開いていき、それ
が順調にいかないと痛みを感じた
りします。
骨盤が広がるため腸も広がって、
お腹が空いたような錯覚を感じ、
妙に食べ過ぎたりします。
また後頭骨という頭蓋骨の一番後
ろの骨も開いて落ちてきますが、
その左右差が大きくなると頭がぼ
んやりして働かなくなります。
また熟睡できずにいつも眠いよう
な感覚が続きます。
春眠暁を覚えず、です。
一度目を覚ましてからまた眠る
二度寝を続けると、後頭部が緩ん
で人間としてのしまりがなくなります。
こうした緩んだ感覚が好きな人たち
もいますが、集中することが好きな
人たちにとっては、とてもいやな季
節です。
私も毎年2月はとても苦手な季節
で、何をやってもうまくいかないよ
うな気がします。
自分が何のために何をしているの
かを見失い、全てを投げ出したく
なります。
擬似的な欝の状態です。
この感覚をまともに追いかけても
何もえるものはありません。
ひとつの通り過ぎざるをえない時
として、やり過ごすしかありません。
こうした変化は人によって早い、遅
いはありますが、5月頃まで続きま
す。
遅くやってくる人たちの方がダメー
ジは深刻なようで、五月病と呼ばれ
たり、そのまま欝になってしまう人
もいます。
身体や心の柔軟性を維持する努
力をし、目の疲れを避けるよう画面
を見る機会を減らし、薬などの余分
な刺激を避けることが必要です。
風邪はこうした季節の変化に積極
的に対応し、発熱と発汗で動きの
悪い場所の働きを高める、自然で
有効なもので前向きに利用したい
ものです。
風邪をうまく経過するコツは、発熱
の後の体温が平熱以下のときに、
静かに過ごすことです。
一度夏に向かって身体が動きはじ
めると、寒さに耐える体勢がなくな
り、とても寒さを感じますし、実際
身体を冷やして体調を崩しやすく
なります。
無理をせず、着る物で調整して、
冷えに対処する必要があります。
また暑い時に汗ばみ、それを寒さ
や風にあたって冷やしてしまうこと
も多くあります。
寝ている間に冷やしてしまうことも
あります。
小まめに汗を乾いた布でふきます。
また汗を冷やしたら、もう一度汗を
かくことで対処することができます。
お風呂や足湯はとても有効な方法
です。
また冷えたあとに出る下痢は、内向
した汗が腸から出たと解釈し、よい
兆候として歓迎できます。
冷えが続くと身体が渇き、身体も
心も強張って、人間としての柔軟
性を失っていきます。
また内臓にも負担がかかり、リュー
マチや脳梗塞や心臓などの血行
系統などさまざまな病気の原因に
なります。
風邪は万病の元ではありませんが、
冷えは万病の元といえます。
風邪をうまく経過できないことで、
冷えに対処することができず、それ
が万病の元となるのです。
出すべき熱と汗はしっかり出すことが、
健康な暮らしの基本です。

生きる技術 その5 水の質

生きる技術 その5
水の質

美味しいという感覚はひとつです。
自分はこれが好き、これが必要、
これと一体になる悦びです。
まずいはその反対で、いらない、
邪魔、許せないです。
食品の害は2種類あります。
ひとつは不要なものが入っている
ということ。
添加物や素材の悪さ、それをごま
かすための余計な味付けなどです。
もうひとつが必要なものが入って
いないということがあります。
白砂糖、精製塩等いっしょにあるべ
きミネラルを取ってしまったため、
本来必要なものが摂取できずに身
体に負担となってしまう場合があ
ります。
健康に育っていない味のない野菜
も同じです。
水にも同じことがいえます。
まず余分な物が入っていないこと
が求められます。
水道水の塩素や鉛、不衛生な水
に感じる臭みは腐敗の証しです。
私たちは匂いや微妙な味から、そ
の内容を感じ取る精密な感覚を
持っています。
そうして感じるのが、水に必要な
ものが備わっているかということで
す。
水なのですから、水以外のものは
入っていないようでいて、微妙な
違いがよい水とそうでないものを
分けます。
水は分子の性質上、クラスターと
呼ばれる分子集団を作ります。
そうした水はドロッと重たい感じで、
吸収も悪く、身体を元気にしてくれ
ません。
磁気などで一時的にクラスターを
バラバラにする方法もありますが、
短時間しかもちません。
けれどイオン化したミネラルは、水
の分子集団の鎖を断ち切って、
活性化した水を作ってくれます。
また微量なミネラルの量や成分の
バランスで水の味は大きく違いま
す。
ミネラルのバランスはまだ科学的
には解明されていない力と可能性
が隠されています。
どういうミネラルがどのようなバラン
スで入っているかで、水の良し悪
しは決まります。
ヨーロッパの水はミネラルは豊富で
すが、イオンではなく粒の状態な
ので有効ではなく、重たい味で、
水の活性化には役にたちません。
ミネラルがイオンの状態になるの
には、微生物の力が必要です。
非常に豊かな自然環境を通ってき
た水にはイオン化したミネラルが
多くふくまれています。
そうした水が名水と呼ばれ、高い
評価を昔から受けています。
以前は水を売ることに抵抗があり
ました。
水が豊富な日本にいて、水は身近
に当たり前にある感覚が抜けませ
んでした。
けれど水道水はますます質が落ち、
ペットボトルの水もどうも信用でき
ず、いろいろ調べた時期があり、
本を読んだり、機械を借りて測定
してみたりしました。
ペットボトルに入って売っている水
のほとんどは失格で、明らかに化
学物質が入っているものもありまし
た。
大気を通過しての雨の質が悪い
ためです。
その中でふたつ完全なものがあり、
ひとつはあまりに高価でお酒以上
なので諦め、残ったひとつが「屋久
島縄文水」でした。
周囲が海に囲まれ、杉や苔、良質
の岩や微生物に育まれた清涼な
味に惹かれました。
さらっとしていて身体に直接吸収
されていくような感覚があります。
ほんのりと感じる苦さと甘さが他に
かえられないおいしさです。
最初は体調の悪いときだけ、薬の
代わりとして飲んでいましたが、い
つの間にか日常に溶け込み、なく
てはならないものとなってしまいま
した。
縄文水のミネラルは少なく軟水な
のですが、そのミネラルの質とバラ
ンスが優れているのでしょう。
水は人間にとってなくてはならない
ものですから、その質の差は私た
ちの暮らしに大きな影響を与えま
す。
体内の水分が減り、体が渇くと、
水の中から不純物を濾しだす働き
の腎臓に負担がかかり、疲れやす
くなります。
渇きは冷えを起こしやすくし、他の
内臓にも問題が波及します。
また感受性も柔らかさを失い、頑固
になります。
水の質の他にも体が渇く要素が
あります。
カフェインなどの利尿作用の強い
もので水分が排出してしまいます。
乾燥することが多い秋には、番茶
やルイボス茶などを飲み、鍋や味
噌汁、温かい麺類などでなるべく
身体に水分を留めるようにします。
また体が水分を受け入れるような
体勢を作る練習も役立ちます。
お風呂に入っている時、湯船の中
で水で口をゆすぎます。
そうすると飲みたくなるのですが、
その時あえて飲まずに吐き出し、
その後にチビチビと少しづつ水を
飲みます。
ビールをお猪口で飲むと酔っ払う
のと同じで、懸命に少量を飲むと
よく吸収するのです。
これが身についたら次の段階とし
て、水をグビッと一気に下腹まで
吸い込むように飲み込むというの
もとても体の健康の維持に有効で
す。
これらは体の質を高めることで、
水をより積極的に吸収し生かすた
めの技術です。

生きる技術 その4 巨大システムで生きる

生きる技術 その4
巨大システムで生きる

先日、知り合いのまだ小さな子どもたちがいる家族が山梨の山間の村
に引っ越しました。
自然志向が強く、しつけや勉強よりも、散歩や遊びを楽しみ、個性を
潰さない暮らしをしていましたが、その延長の決断だったのでしょう。
けれど、一番上の子に学習障害があり、頭もいいし理解力もあると思
うのですが、数や字の感覚が持てず学校の勉強についていけて
いない状況だったので、地方に行って学習の機会の選択肢が減り、
かえって行き場がなくなってしまうのではないかと心配していました。
ところが最近買い物にやってきて、全校生徒ニ十数人の学校で校長先
生が付きっ切りで教えてくれ、数字も字もわかるようになり、図形は得
意で他の子に教えるほどで、家でも勉強するようになったというので
す。
近頃良い話がない中、本当に良い話だなあと思い、体の奥からホッと
息が出るようでした。
このことから私たちに多くのことが伝えられます。
今の教育は、大多数を世のひな型にあわせることを目標としており、
生徒のひとりひとりの個性を伸ばすようには出来ていない。
現場の先生たちの熱意や誠意でその欠点を補うことで、かろうじて
人間的暖かさを保っている。
私が世の中を見る目を持つことを教わったイリイチという人は、さらに
その先と根を見通していました。
教育システムは学ぶことができるのは学校だけだと納得させ、学習に
は段階があり上に行けないのは努力や才能が足りないからだと理解
させる。
その結果、世のこの位置にいることは必然だと思わされ、生活のレ
ベルを受け入れさせられます。
そうして苦い安定と無力感を植えつけられ、テレビや情報に従順な
消費者が育てられます。
義務教育という巨大なシステムが全員を巻き込んで進んでいきます。
イリイチは医療についても同じ根を指摘します。
健康か不健康か、生きているか死んでいるかを決める権利が医療に
与えられ、私たちは医療によって生きていて、それによって健康を
保証され、生きる基準をゆだねるのが当然と思い込まされます。
個人のあり方でなく、症状や数値で計られ、確率で判断されます。
その欠点や不足を医療に携わるお医者さんや看護婦さんたちの善
意や思いやりで補っています。
私は医療の技術や、教え育つことの大事さを否定しようとは思ってい
ません。
巨大なシステムが何を目的に、どういう手段を使うかということを問題
にしているのです。
人間を個人ではなく、量としてとらえ、いかに効率的に、時間と手間
をかけずに利益を得るか、コストをかけないかを追求する巨大システ
ムの現状を見つめざるをえません。
これは今の世の中ではほとんどのことにあてはまります。
石油や原子力を牛耳るエネルギーのシステムがあり、情報を発信し
コントロールするAPやUFIなどの通信社があります。
穀物メジャーと呼ばれる巨大商社が世界の食料を動かしています。
日本の官僚もこれらのシステムにたいして対抗する手段を持ってい
ません。
巨大なシステムは世の中が荒廃するほど利益をえることができます。
福祉の名のもとに、善意もお金に換算され、システムに組み込まれ
ていきます。
援助の名のもとに西洋の価値観や商品経済のシステムが、伝統的な
質素な暮らしを続けるひとたちも産業化の波に取り込んでいきます。
グローバル化の実体です。
私たちの良心や善意さえ、システムにとっては勢力を拡大する手段
となります。
このような時代に私たちは何ができるのでしょうか。
晴屋のように安全な食品を扱うという仕事も、それだけなら高い
金額を払えば良いものが手に入るという商品経済を発展させるため
の手先となります。
イリイチという人は、世のシステムの持つ問題、権威のあり方や生活
を見直す提言を多く残しました。
その前はカトリックの司祭で大変な秀才であり、将来の法王と目され
ていました。
しかし教会というシステムから逸脱し、社会のシステムを批判しました。
イリイチは、神と一対一の関係を築くためには社会とどう付き合うべき
かを問い続けたのだと私は思います。
イリイチが指摘した通り、私たちは巨大な多くのシステムに囲まれ、
手足を取られて生きています。
そのシステムの範囲にあるうちは、進歩と発展の夢を与えられ、より豊
かな暮らしを思い描くことができます。
けれどそれを一歩でも出てしまうと、厳しい現実が待っています。
状況は不毛と失望しか残されていないようにも感じます。
しかしそれでも私たちは生きています。
生きる悦びを感じ、生きる証しを求める余地はあります。
晴屋のことでいうなら、安全な食べ物を扱うだけなら、消費者のエゴと
お金をたくさん持つことの優位を増大させ、エリート意識を充たすも
のとなるだけでしょう。
けれどより美味しいものを扱うのなら、生きることの悦びと、作ることの
大切さを保証するものとなります。
今の世の価値を否定することはできませんが、それだけに留まらず、
人間本来の健全さをどう育てるかや、作る側や自然にどれだけ寄り
添えるかが問われます。
私たちは難しい時代に生きていますが、それだけに達成する悦びも
多くのものがあるかもしれません。

生きる技術 番外その2 秋の養生と水

生きる技術 番外その2
秋の養生と水
水はいのちの源。
水なしには生命の存在はありえません。
多くの生物の身体の70%ほどは水でできています。
安定した性質で、いろいろな反応の仲立ちをして活動を円滑にして
くれます。
食べるものは2週間なくても生きていられますが、水なしでは3日と持
ちません。
日本のように四季があり、湿度や温度の変化の多い場所では、い
つも水への気配りが必要です。
けれどそのおかげで私たちは、西洋人たちが羨むような、しっとり潤
った肌を持っています。
湿気が多くうっとおしい気候も私たちの生活や文化の一部なのです。
秋は冬への準備の時期で、夏の生命力をめいっぱい燃やして雑菌
などに対処していた身体から、代謝を下げて寒さに耐える体勢に変
化する時期です。
そのため特に意識して水分のとり方を工夫する必要がある時期です。
皮膚や細胞のひとつひとつが硬く締まってくるので、ためられる水分
が少なくなり、身体が渇きます。
肌もカサカサしたり、痒くなったりしますが、腎臓に大きな負担がかか
ります。
腎臓は身体の体内の水分から不要なものをこし出す働きをしています。
水分が豊富なら簡単なのですが、少ない水分から不純物を選んで
体外に排泄するのは、腎臓に大きな負担がかかります。
またこの季節は夏の疲れもでてくる時期で、夏の代謝をあげて雑菌
や食べ物の排毒をしてめいっぱい働いた腎臓の疲れがでます。
ですからこの時期は気をつけて水分をとる必要があります。
冷たいものは余計に身体を冷やし渇きに向かうのでなるべく避けます。
またカフェインの入っているもの、コーヒー、紅茶、緑茶なども利尿作
用で水分がでていくので負担は大きくなります。
ジュースや牛乳も水分の補給としては役にたちません。
ほうじ茶や味噌汁、鍋物、温かな麺類などは身体に沁みていくのを
実感し、美味しく感じますし、実際に身体に水分がとどまります。
秋はまた、咳がでやすい時期です。
空気が乾燥した日が多くなるので、気管がどうしても渇きます。
気管には繊毛がたくさんあって、埃や雑菌が肺に入るのを防ぐフィ
ルターの役目をしながら外に押しだしています。
ところが繊毛が乾くと外に出せなくなり、咳をして強制的に排出しよう
とします。
ですから咳自体は自然で必要な働きなのですが、あまり続くと炎症
を起こして止まらなくなり、体力を消耗したり、余分な風邪をひいた
りします。
インフルエンザなどもそうなのですが、乾燥しないように小まめに水分
を補給することで気管を守ることができます。
咳がでるごとに必ず少しでも水を口に含むと、何日かで咳の症状は
かなり和らぎます。
水の質も大事です。
縄文水のように活性化したミネラルが入っている浸透力のある水は
当然水の吸収や体内での循環がよく、身体を潤します。
飲むとすっと身体に沁みていくのを実感できます。
柑橘類も気管のケアにとても有効です。
気管に直接沁みていく感じで、ちょっと咳きこんだりしますが、食道
から気管に直接効く感じで、それだけ身体が必要としています。
季節の食べ物は本当にうまくできていると感じます。
腎臓は疲労を表現する場所で、これが疲れるとだるくなり、何事に
も億劫で面倒くさくなります。
水分が少ないと感受性も頑固になります。
この季節の背中の中ほどの左側の痛みは、腎臓の疲労の主張であ
る場合が多くあります。
腎臓を助ける食べ物としては小豆も役立ちます。
美味しいあんこはこの季節の喜びですが、胃の中で広がるため、喘
息を誘発しやすくなるのでその傾向のある人は注意が必要です。
カレーライスなども同じ傾向があるので要注意です。
腎臓を積極的に休めるためには、汗をかくのが有効です。
汗と尿は同じ成分なので、汗をかいている間は腎臓が働かなくても
すむからです。
お風呂や半身浴でしっかり汗をかき、その後横になって休むと腎臓
の疲労はぬけていきます。
肝臓に疲労がでやすい人はどちらかというと色黒で、腎臓に疲労が
でる人は色白の人が多いようです。
自分の身体の個性にあった生活を形作るための毎日の少しづつ
のケアが、長い間には大きな違いとなって、私たちの可動性を維持し、
可能性を広げ、自分の個性の完成に結びついていきます。

生きる技術 その3 腸内フローラ

生きる技術 その3
腸内フローラ
フローラというのは神話に登場する花と豊穣と春を司る女神なのだそ
うです。
そこから花畑や花盛りという意味に使われていますが、「陽内フローラ」
では私たちの腸の中で微生物たちが多数に共存共栄している豊かな
生態系を上品な言葉で表しています。
私たちは腸内に微生物たちが住みやすい環境を提供し、その働きの
おかげで栄養を分解、吸収して生きています。
それはある意味、植物をふくめたすべての生物にあてはまります。
自然界には多くの微生物がいて、バクテリアや菌類、微生物などさま
ざまに呼ばれています。
健全な土の中には、スプーン一杯ほどのなかに地球上の全人類と同
じほどの数億の微生物がいます。
団粒構造といわれる数μから数ミリの土のひと粒ひと粒が小宇宙となり、そ
の中で好気性や嫌気性の微生物たちが共存しています。
団粒構造は適度の保湿性と通気性があって、雨が降れば湿度を保
ちながら排水し、雨不足でも完全には乾燥しにくく、空気層があるた
め低温や高温でも一定のすごしやすい状態を保ちます。
そして豊かな生態系は雑菌の繁殖を防ぎ、酸化や腐敗ではなく、発
酵を導きます。
また植物は根から栄養を出し、酵母菌などを周囲にいさせて、不要
な菌の侵入を防いでいます。
土に農薬を撒くと一見病気がなくなるように見えても、生態系は破壊
され、もっと強い菌が入ると圧倒的に優勢になり、独裁者となって手が
つけられなくなります。
それは私たちの体内でも同じです。
植物の根をぐるっと内側に入れ、体内に根を持って動けるようにな
っているのが動物と考えることもできます。
誰の世話にもならず一人で自立しているような顔をしている私たちですが、
実際には多くの生物によって支えられ生きています。
現代では薬を飲むのがあたりまえという風潮ですが、それによって
私たちの自立性は奪われ、次から次へと強い薬が必要となる、薬物
依存の状態となっていきます。
乱れたバランスを取り戻し、より健全なお腹の状態を育てるにはどう
したらいいでしょうか。
農業の現場ではまず堆肥を入れて栄養の状態を改善します。
その際、動物性のものは最低限で発酵を助ける程度にし、腐植とい
われる食物繊維やミネラルを主体にします。
動物性の窒素分の多いものを多用すると、生育は早くなっても病気に
かかりやすい生命力が弱い状態になり、えぐみが強く、甘さを感じない
硬い野菜になってしまいます。
化学肥料も窒素の補給だけなのでその傾向はもっと強いものになり、
人間で言えばスナックばかり食べて太ってしまった肥満児のような
状態です。
健全な食事、伝統的な食生活はすべての基本といえます。
もう少し積極的に腸内に働きかけることもできます。
EM農法という微生物を積極的に畑に投入する農法がありますが、
それに相応するのが、乳酸菌やビフィズス菌でしょう。
体内の腸内有効菌を増やしていく立場で、晴屋では「ヨーグルメイト」
の効果が特に評価されています。
BMW農法は、良質のミネラルのバランスを作ることで、そこにいる微
生物の働きを高めていく発想です。
ミネラルのバランスには独特の力があって、波動といわれるまだ科
学的にも解明されていないエネルギーを導きます。
人間はまだ宇宙のエネルギーの15%ほどしか解明できていないの
だそうで、科学にすべてをゆだねるのは無理があります。
晴屋の「ベビールイボス茶」などはその典型で、腸の働きが高まり、
便秘や下痢だけでなく、代謝を高めて、血圧や血行、疲労やアトピー
など多くの効果があります。
伝統的な食生活には大きな効果が確実にあるのは確かですが、そ
れとともに自分や自然の力を信じる姿勢も必要です。
食欲が無いのは食べる必要がないからです。
無理に食べたり、胃薬を飲んだりするれば、欲や余分な思い込みで
自分を見失い、身体と感性を鈍らせます。
下痢も必要だからします。
腸内の不要で害のある物を早急に体内に出したいという自然な要
求、あるいは頭の緊張を緩めたいという働きです。
それを薬で抑えるというのは、愚かで、暴力的でしかありません。
自分の身体を力づくで使おうという人は、他人にも同じ感性で迫る
でしょう。
現代の忙しさ、能率や数字を求め、失敗やクレームを恐れ、とりあえず
の物質的要求を与えられたものの中から充たそうとする傾向は、こう
してますます強くなっていきます。
私たちはその大きな流れを変えることはできないかもしれませんが、
まず自分がその流れから違うところに身をおき、その輪を広げていく
ことはできます。
そうした意味で食べることはひとつの文化であり、生き方が食べ物を
選び、またそれによって生き方を選んでいくものです。
暴力の連鎖や、発展や上昇の幻想にとりつかれた限りない物欲の
世界から逃れたいと願っているのは私だけではないでしょう。

生きる技術 番外その1 秋の身体と感性

生きる技術 番外その1
秋の身体と感性
実りの秋、食欲の秋、芸術の秋。
暑く厳しい夏が過ぎ、冬の寒さに耐える準備の時期です。
豊かな自然の恵みがたくさんある一方、夏の疲れに対処しながら、
身体のつくりを変えていく、過ごすのがとても難しいときです。
夏には代謝をあげて雑菌などに対抗して積極的にエネルギーを使い
ます。
その排毒のため、肝臓に大きな負担がかかります。
肝臓は身体の毒だけでなく、感情の毒も処理しています。
そのため肝臓がくたびれると、感情の許容量が減り、イライラして切
れやすくなります。
肝臓は無言の臓器といわれ、大きな許容力や再生力があってあまり
疲労を訴えません。
痛みが出たらもうすでに重度の異常ということになってしまいます。
皮膚の異常やかゆみ、感情のイライラ感、右の背中の中ほどの痛み
などで肝臓の主張を知ります。
肝臓を休めるには休息が必要です。
心と身体をゆったり緩める時間が必要ですし、美味しいものがたくさ
んある季節ですが、食べ過ぎて肝臓に負担をかけないように注意し
ます。
チーズなどの良質のたんぱく質もとても有効です。
秋は、美味しいものを少しづつ楽しむ季節です。
そうした養生の半面、エネルギーのある人たちには暴飲暴食をして
行きつくところまで行きつき、身体をリセットする要求もあります。
これもまたひとつの健康への要求でしょう。
この時期の風邪にも同じ意味があり、冬への身体の変化を円滑にす
る働きがあります。
痛みやだるさなどの異常感は、回復の要求の現われです。
鈍り、体力が落ち、疲れがたまっていく時は異常感を感じません。
肝臓の他にも私たちの身体はこの時期にいろいろ変化します。
開いていた骨盤がしまり、身体が引き締まる方向に向かいます。
そのために腰が痛くなることも多くあります。
皮膚もしまり、汗をかきにくい、寒さに耐える状態になります。
首を通っている迷走神経も冷たい空気で緊張していきます。
迷走神経は呼吸器と深い係わりあいがあるので、咳や喘息が起きや
すくなります。
迷走神経は特に左の首と腕に関連していてそこで状態を確認できます。
首をあまり冷やさないようにすることや、水分をこまめにとっておくの
は、体力の低下を抑えるのに役にたちます。
神経が少しピリピリと緊張した状態が秋の感性の特徴ですが、そのた
め私たちは芸術などに求めるものが多くあるのでしょう。
私はジャズを聴く機会が増えます。
社会の矛盾が生んだアメリカの最高傑作のジャズの持つ、生き急ぐ
ような焦燥感は秋にはまったく相応しいものです。
厳しい状況の中に生き抜く意思と、それでも失わない美への要求に
同調します。
また反対にブルックナーなどという、巨大で得体の知れないいつ終わ
るともしれない音の豊穣な連続に惹かれたりもします。
こちらは主張する自意識を埋没させたい要求でしょうか。
音楽や芸術、食欲やいら立つ感性など、自然のうつろいに添った身
体と心の要求を充たして、解消し、生活していかないと、私たちは自
分を見失い、大多数の中に埋没する個性の無いものになってしま
います。
秋のすがすがしい日々は少なく、体調のすぐれない、うっとおしい
日々が続きます。
それも身体の主張として受け入れ、変化や波の中に潜む微妙なエッ
センスを発見し、生きる悦びを増幅させていくことしかできません。
楽しみの中にも苦しさがあるように、苦しさの中にも悦びがあります。
晴天の中にも不穏な空気を察し、雨の中にも情感を感じることがで
きます。
秋はそんな苦さがふだんより余計に身にしみる季節です。

生きる技術 その2 食欲

生きる技術 その2
食欲

先日、私としてはめずらしく食欲がなく、吐き気を感じたので、一日近
くほとんど食べずにすごしました。
夏の疲れが肝臓にでたようで、その後はまったくふつうの状態に戻
りました。
肝臓などの消化器を休めたい要求なのでしょう。
こんな時、無理に食べるとかえって後に大きな変動になって身体を痛
めます。
けれどもっと若くて元気のある時は、こんな時にかえって暴飲暴食をし
て、全部疲れを出し切って身体のリセットをすることが多くありました。
暴飲暴食もある種の積極的な働きとしてとらえることもできます。
身体の感覚を信じ、自分の中にある自然の力を信じて、その声に
耳を傾け、それを生かさなければ本当に生きていることにはなりま
せん。
食べることは生存のために必要なことであり、その支えを受け入れる
ことで、身体は肯定し、悦びを感じます。
美味しいという感覚は、必要なものを必要な量だけとっているという満
足の証しです。
けれど決まった時間に、決められたものを無理に食べるのは、身体
にとって迷惑で暴力的なことです。
食欲が無いのは、胃や腸が悪いのではなく、頭が悪いのです。
下痢や嘔吐も不要なものを排泄して身体を守るとても大切な働きです。
知識や思い込みに捉われると自分の本質を見失ってしまいます。
けれど食欲は人間にとって本質的な要求なので、栄養の必要性とい
う以外にも別の意味があります。
嫌な相手といっしょだとどんなに美味しいものもまずく感じます。
心をこめて出されたものは、それほど良い素材でなくても美味しく感じ
ます。
食べることはワイルドあると同時に、とても微妙で繊細なものです。
消化器は感情とくっついているので、その人の心の状況が現れます。
腹が立つというとき、直腹筋が緊張し硬く強張ります。
怒りが最高潮だとお腹が熱くなり、腹わたが煮えくり返ります。
楽しい時にはお腹はふっくらと緩み、表情もにこやかになります。
嫌なことがあると食べ、嬉しいことがあるとまた食べる人もいます。
感情と心と身体が密接につながっているタイプの人たちです。
そこまででなくとも、余分なエネルギーの分散や気分の転換に、食
べたり飲んだりすることはとても有効な手段で、私たちは無意識に求
めます。
これほど私たちにとって本質的で、有益で、有効な手段を、知識で縛
ってただの餌の補給手段にするのはもったいないことです。
無理に食べず、食べたいときにはほんのひと工夫を加えることで、
私たちの暮らしはずいぶんと豊かなものになります。
とは言っても、世の中には食欲もなくなるような粗悪なものに溢れ
ています。
その中で自分に必要な物を見つけ、工夫して使う感覚を磨いてい
く必要があります。
たとえば晴屋で扱っているバリの塩は、乾燥の急速さと環境のよさ
のため特別な力があります。
料理に入れると味わいが深くなり、旨みが引き出されます。
即席麺に少し入れると加工品の臭みが抜けすっきりした味になり
ます。
風味が落ちたワインや日本酒にひと粒入れると、味がかなり戻り
ます。
公社の塩で塩辛い味付けのとき、少したすとかえって円やかで深い
味になります。
含まれているミネラルが豊富で、そのバランスがよく、イオンに近い
活性化した状態なので、他の塩にはない力があるのでしょう。
こうした塩は身体に溜まりにくいので、取りすぎの心配をしている人
にも安心です。
たかが塩なのですが、それを工夫して使うだけで、食生活はずいぶ
んと豊かなものになり、自分で自分の暮らしを組み立てている実感
と悦びをえられます。

生きる技術 その1 病気と疲れと健康

生きる技術 その1
病気と疲れと健康

病気と疲れは似たような言葉ですがずいぶんと意味が違います。
疲れは休みをとり、時が過ぎれば治ります。
それでは治らないものを病気といいます。
ですからすべての病気の元には疲れがあります。
そして病気というもの自体が、溜まった疲れを解消して機能を回復さ
せようとする、健全に生きるための働きといえます。
ですから病気の症状をなくすために薬に頼ることは、私たちの身体
というひとつの完結した小宇宙の調和を乱して、とりあえずの痛みを
和らげ目先の都合を優先させて、いのちを粗末に扱うことといえます。
痛みや疲れも私たちの人生の大事な要素であり、それによって今の
状況を知り、生きる術を洗練させ、自身をより完成されたものに高め
ていくことができます。
しかし私たちは痛みや疲れを感じないことが健康だと勘違いし、生き
る術を他人に頼るように馴らされてきました。
病気であるかどうか、生きているか死んでいるかの判断さえそれを決
める権利がお医者さんにあり、医学よって私たちが生かされている
という上から目線の認識を植えつけられています。
症状という目に見えるものを扱う対処療法の西洋医学は分かりや
すく、確かに劇的な効果があります。
けれど病人の個性や全体の状況、勢いや感受性の向かう方向を見
ず、数字や確率での治療は、私たちの自立性を損なっていきます。
西洋医学を否定し、東洋医学を上のものと主張するつもりはありませ
んが、何れにしろ他人の技術に頼っていると自分を見失うことにな
ります。
それはもちろん医学に限ったことではありません。
何事にも過剰な、テクノロジーや消費生活、エネルギーの消費や
刺激的な情報が私たちの自立を妨げます。
そして無気力や虚脱感が支配し、あるいは反動として自意識やプラ
イド、意味の無い明るさという道が示されています。
けれどそんなもののために人間は生きているのではありません。
私たちが生きるのは自分のもって生まれたものによってであり、その
力で力をだしきって生きられるように生命というものはできています。
現代文明にどっぷりと浸かり、すっかりと野性を見失っている私たち
ですが、その力をもう一度見つめなおし、信頼し、生きる道を見いだ
すのが難しいこの世で生きる場所と方法を見いだしたり、作るための
生活技術を身に付けていく必要があります。
その一歩はまず、自分を見つめることからはじまります。
例えば疲れと疲労感は必ずしも同じではありません。
どんなに疲れていても、好きなことがあれば疲労感はなくなって、遊
びにいけます。
疲れていなくても嫌なことを頼まれれば、身体も心も重たくなって、無
気力や疲労感に陥ります。
こうした誰の心の中にもある働きを認めることから、自分は何を好きで
何に耐えられないか、何を求めて生きているか垣間見れます。
正しさや理想やテレビで見かける格好の良さを求めると、空回りし、
現実とのギャップを埋めるものを求めて不要なエネルギーを費やし、
ボタンのかけ違いで自分を見失います。
日常の当たり前のこと、季節や天候の移り変わりで変化する身体や
感受性、無理に身体を使った後の経過やケア、周囲の人たちとの軋
轢が心や身体に与えたダメージなど、さまざまなことで私たちの生活
はなりたっています。
それらをきちんと解消し、自らを鍛え高める機会とするためにの術が
必要です。
それがなければ私たちの暮らしは粗雑で乱暴なものになってしまい
ます。
そんなゆるいような、緻密なような、けれど確実に役に立つ技術を生
活に根付かせたいと願っています。
きっとまとまりがなく、つかみどころもないものもあるかもしれません。
けれど技術なのですから、感受性が受け入れる体勢になっていれ
ば、多くの人に有効なものにしたいと思っています。
何年か折にふれ書き続けようと思います。
よろしかったらお付き合い下さい。