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FIDELIX製トーンアーム「ゼロ・サイド・フォース」  新発売! 

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FIDELIX製トーンアーム「ゼロ・サイド・フォース」  新発売! 
アナログに情熱を燃やし続けるFIDELIX・中川伸氏の設計企画による
トーンアームがついに完成しました。
レコードの再生の長い歴史に培われた技術と素材の吟味で、現在も恐
らくこれ以降も、これを上回る性能は考えられない究極の製品です。
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1.剛性と支点の明確さ
トーンアームはいくらベースがしっかりとしていても、上部では鳴きやふ
らつきがあります。
指先で軽く叩けばカーンとかチーンという音がする場合は、必ず再生音
にそれが乗っています。
また一般的に使われているボールベアリングにも必ず遊びがあり、それ
をゴムの弾力性で押さえています。
ゴムが介在することで、微小な動きに応じていつも前後左右に振動して
います。
このトーンアームではベースにしっかりと固定されたステンレス製の尖っ
た支点を、アーム側にもうけられた宝石製の凹状の軸受けで支える構造
となっています。
それによりアームが引っ張られても、前後に動くことはありません。
一般的には「1ポイント」と呼ばれるこの形式ですが、FIDELIXでは
「1.01ポイント」と名づけ、もう一点垂直に交わる支点を作ることで、左右
の動きも抑えることができるようになりました。
「1ポイント」ではシリコンオイル等で制動してごまかしていた部分を機械
的に動きを抑え、より剛性を高めることができます。
また支持部の突起部分等も部品として交換が可能であるため、万が一
の破損等のトラブルにも対処することができます。
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2.ストレートアームの共振の無さと音の素直さ
アームの部品は全て錆びることがなく剛性の極めて高い304ステンレス
を使っています。
トーンアームではオーバーハングをとるためにS字型が一般的ですが、
いくら強度を増してもこの形状では共振やゆがみがあり、安定した再生
ができません。
このアームはピュアストレート型でそれによりより力強く素直な再生音
を実現しています。
アナログでは一般的に低音が甘くふくらむ傾向があり、それが個性と思わ
ている部分もあります。
しかし中川氏曰く「マスターテープの低音」ということで、剛性と支点の
明確化によって、今までに無いクリアで力強い再生が可能となりました。
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3.高感度と重心
ボールベアリングによる回転軸では、締め付けを強くするとがたつきは減
らせますが、それにより動きが妨げられ、感度が悪くなります。
ゴムによる制動が一切無いこのアームでは究極の高感度がえられます。
また構造上、重心よりも支点をかなり上に持ってくることができるため、
やじろべいの効果により動作もより安定し、レコード盤のそりへの追従性
も抜群です。
私は昔グレースのG940という1ポイントのアームの愛用者でしたが、ラテ
ラルバランス等の調整の微妙さや動作の不安定さと付き合うのに大変に
手間をかけました。
このアームでは支点が2つあることとやじろべえ効果でふらつきが押さえら
れる為、扱いやすくなっています。
ウエイトも比較的重いものを重心の近くに置いているため、実効質量を
減らし、自重の軽いカートリッジにも重たいものにも対応できます。
アームの悩みから開放される究極のトーンアームといえます。
4.次元の違う再生音
音を聴いてみての印象は、ますそのクリアさにあります。
どこにもくもりや強調感、鈍さがありません。
次に納得するのが低音から高音まで音が揃っていて、つながっているという
ことです。
これは共振を持つ帯域がないということでしょう。
当然のことなのですが、音がひとつのものとして感じられ、今まではそ
れが達成されていなかったのだと納得できます。
相性による良し悪しはありませんが、カートリッジの個性の差は当然、
明確に表現します。
個人的には鉄心の入っていない低出力MCを好んでいますが、私の手元
にあるDENON DL103LCⅡが意外に良質の音を聴かせてくれ
ました。
どちらかという少し鈍くで無難な音だったのが、クリアな音となり、
適度のふくらみを持った幅広い表現ができました。
一番効果が高かったのがSATIN M15Lでした。
振動系の質の高さがストレートに現れ目の覚めるような臨場感と、SA
TINから今まで感じたことのなかった力強さが表現されていました。
FR-1/Ⅱからも上品で伸びやかな再生音が聴かれ、個人的にはとても
好きな音でした。
優等生的でつまらないと思っていたDENON DL304から素直で
くもりのないニュートラルな音が聴かれ音に没頭できるものとなりました。
高音のひっかかりがなくなり、低音がしっかりと支える力強さを獲得し
たためでしょう。
何れにしろ、明確でダイナミックで、しかも決して粗さのない精緻な
音が特質です。
一般的なイメージのアナログの音の柔らかくこもっている傾向とは
対極にあるといえます。
ある意味CDよりずっとクリアです。
けれどデジタルのうるささはまったくありません。
アナログに革命を起こす、画期的な製品といってもいいでしょう。

センタースピンドルからアームベースの中央までの距離  232mm
アームベース用の穴の直径               30mm
フォノケーブル付属
ヘッドシェルMITCHAKU付属
重量級カートリッジ用サブウエイト付属

定価は17.8万円税別で、予約受付中です

オーディオの今や昔の話 その7 約束の音

オーディオの今や昔の話
その7 約束の音

最近また、レコードの音を聴く機会
が増えている。
レコードという言葉も死語になりつ
つあるけれど、以前は音楽を聴く
としたらまずこれだった。
黒いビニール盤に無数に溝が刻
まれていて、光によって円形の筋
が虹色に輝く。
私がオーディオに興味を持ち始
めた50年ほど前には、カセットで
はないオープンリールのテープ
か、FM等のラジオ、そしてレコー
ドといわれる円盤状のディスクし
かなかった。
学業や部活の間にアルバイトをし
て、年に一枚か二枚のLPを買う
ことしかできない中学生であった
当時よりは手に入れられるアルバ
ムの数はふえてはいるけれど、相
変わらず貧しいことに変わりはな
い。
そうして欲しくてもあきらめたオー
ディオ機器もいくつかあるけれど、
もっとも欲しいと思っていた50万
円のアナログ用のアンプがリニュ
ーアルされ、進歩したものが20万
円ほどで発売されると、もう気持
を抑えることができない。
アルバイト?で、オーディオ機器
を製作したり、遠方までステレオ
のセッティングに行ったり、手持ち
の機材を売ったりして、細い糸を
たくさん伸ばして獲物を手繰りよ
せる蜘蛛のように、自分の手の内
のものとしてしまった。
それで私は、忙しい時間の中に
レコードを聴いて静かに過ごす
心ゆく時間をすべりこませている
はずだった。
けれど、私に付いている神様はそ
う簡単には無条件の悦びなど与
えてはくれない。
私の頭と身体がイメージする音が
どうしても出てこない。
理想という絶対的なひな型と違う
から納得できないのではなく、私
の感覚がこれは違うと砂漠で水を
求める者のように喘ぎ訴える。
頭ではこれだけのものを使ってい
るのだから、いい音のはずだと思
っても、感覚がこれは違うと言う。
それからの半年は、挫折と葛藤と
格闘の時間の連続だ。
人造大理石を使ったキャビネット
に始まり、モーター、進相コンデ
ンサ、アーム、ケーブル、シャフト、
などあらゆる部品を交換し、吟味
しなおした。
その都度改善されるのだけれど、
まだある一線を越えられない。
最後に信じて疑っていなかった
ディスクスタビライザーというレコ
ードとターンテーブルの振動を抑
えるためのものが原因と、アンプ
の開発者であるフィデリックスの中
川さんの指摘でわかり、一気に目
の前の霧がはれたように音がほぐ
れ、生き生きした表情をきかせる
ようになった。
この時間の経緯を今となっては
貴重な経験として自分の糧にな
ったと感じるけれど、さなかでは
闇の中を手探りで進んでいるよう
で、自分がどこにいるか、目的地
がどこなのかも分からなくなって
しまう。
部品を少しでも変えると必ず音が
変化するのがオーディオなのだ
けれど、変わったからといって良
くなったとは限らない。
欠点を補うためにしたことが、また
新たな欠点を生み出し、音が混
濁して見通しが悪くなり、色を重
ねすぎた水彩画のように光を失っ
ているのに、それを豊かさと見間
違えることは多くある。
何度も基本に戻って、ボタンの
かけ違いを正し、やっと最後にな
って、あるべきものにたどり着く。
約束はされていなかったけれど、
必ずあるはずだと信じていたもの
に出会う悦びはやはり大きい。
人生の目標の中の大きなものを
得たような達成感がある。
それは新しくもあるけれど、とても
懐かしいものでもある。
心地よい音に包まれていると、私
の心は音楽を忘れて流動し、音
からも現実からも離れて見知らぬ
空間を彷徨う。
そして時折音の奔流に帰ってき
て、音楽の美しさに少年のように
心をときめかす。
弦楽器を奏でるときの独特のこす
る音は特に好きで、重奏で音が
調和しながらひとつひとつが手に
ふれられるようにはっきり感じられ
たりすると、ゾクゾクしてしまう。
子どもの頃からこの音を好み、こ
れがどれだけ再生できるかいつ
も考えていたっけなどと昔の感覚
をよび戻していると、年月も空間
も消えて自分をひとつのつなが
る命として実感できる。
自分と向き合うことができる、かけ
がいのない時間だ。
50年の道のりが一瞬だったような
宇宙の中のひとつの結晶としての
命の感覚だ。
CDの音は目前で鮮やかにきらめ
くけれど、実体を感じられず、感
覚の表面をなでて通り過ぎていく。
LPの音にはボディがあり、いまそ
こで音楽が生まれる新緑の芽吹
きに立ち会っているようなときめき
がある。
どちらがいいというものではない
かもしれないが、心に深く音をし
みこませるにはLPに分がある。
とりあえずのごまかしに逃げずに
道を誤らなかったのだとつかの間
の安堵を感じられるし、また新し
い一歩をふみだす力をえるなど
という経験もアナログのレコード
だからこそえられるものだ。
必然を必然として感じられること
こそ魂の糧となるものだろう。

オーディオの今や昔の話 その6 終わりのない旅、アナログ

オーディオの今や昔の話
その6 終わりのない旅、アナログ

私の手元に江川先生が改造したL
Pプレーヤーがある。
YAMAHAのGT-750というもの
でアルミのターンテーブルの大部分
をガラスに取替え、外周の厚いアル
ミ部分には切れ込みを入れてあるた
いへんに手の込んだものだ。
その目的は直下にあるダイレクトドラ
イブのモーターからの電磁波をター
ンテーブルに通さないためだった。
その労力のおかげで、音の濁りが減
少し、すっきりした音が楽しめるよう
になった。
先生はステレオから再生される音を
よくするため、労を惜しまずあらゆる
努力をした。
それはストイックに極めるというよりは、
より心地よいものを求めた快を追求
するものだった。
だから余計に強いインパクトを持って
私たちに迫るものとなった。
それが最も具体的で、見た目の衝撃
も大きかったのはアナログプレーヤ
ーではなかっただろうか。
回転するモーターの力をターンテー
ブルに与えて、それが再生のエネル
ギーのベースとなっている。
けれどモーターの回転は一定ではな
く、余分な振動も含んでいる。
その振動の影響を吸収するため、タ
ーンテーブルは重たい方がいいとさ
れている。
江川先生もそれを踏襲して、超巨大
なターンテーブルを作ったり、鉄アレ
イを組み込んだりもした。
それは必ず結果に現れるのだけれ
ど、どこまでいってもこれでいいとい
う限界点が見えない。
イナーシャという慣性質量をいくら増
やしても、それにともなって出てくる
軸受けからのノイズや材料固有の響
きに付き合うことにもなる。
そうした重たくて、鈍い音に嫌気が
さし、今度は軽いもののほうに優位
性があると主張しはじめた。
S/Nなどのカタログ状の性能が良い
ダイレクトドライブにも異議を唱え、
モーターから出る電磁波までも問題
とするようになった。
誰にも思いつきもしないことだった。
今では旧式のベルトドライブの方が
性能が良いとされている。
前述の手元にあるプレーヤーはそう
した過程で生み出されたものだった。
その他にもターンテーブルシートや
インシュレーターという振動を吸収
するもの等のゴムの製品は、アナロ
グの音を甘くぼやけたものにするの
で排除した。
トーンアームは普通S字型をしている
けれど、それはオフセット角といって
内周でも外周でも盤面とカートリッジ
が一定の角度で接するための工夫
だ。
けれどそのためにアームの強度は
落ち、余分な振動をし音の本来の
力強さを失わせるといって、ピュアス
トレートアームという、真っ直ぐ一直
線のアームを提唱した。
常識を信用せず、直感とひらめきで
新しい地平を拓いていった。
それらの一部はメーカーの超高級機
に取り入れられている。
アナログなどごく一部のもの好きの
ためのものなのだから、いくら高くて
もいいようなものだけれど、あまりの
高額では多くの人には普及せず、
文化としては衰退してしまうだろう。
それで江川先生は安くて手軽なもの
に活路を見いだそうとした。
それもひとつの諦観であるけれど、
ほどほどの中にある愉しみもあるとし
ても、マニアの端くれとしては、やは
り最高の品質のものを持ちたいと思
う。
そんな要求に応える製品がもう少し
で発売される。
江川先生と多くの活動を共にしたFI
DELIXの中川氏が開発したプレー
ヤーはこれらの条件を全てクリアし
た、ほぼ究極と言ってよいほどの製
品だ。
納得の部品を集めて作った私用の
プレーヤーを上回るものとなっている。
価格は約30万円。
残念ながら私の小遣いで買える価格
ではないけれど、部品として売られる
トーンアームだけならなんとかなりそ
うだ。
今まで多くのアームを使ってきたけ
れど、私の理想が結実している。
これが私にとって生涯最後のアーム
であると心に決めてしまえば迷いは
ない。
到着と音出しが待たれる日々が続く
けれど、きっとまた新しい旅の始まり
でもあるだろう。

オーディオの今や昔の話 その5 アンプの愉しみ

オーディオの今や昔の話
その5 アンプの愉しみ

昔から何故かアンプに惹かれた。
これを通ることで音楽が形作られ、
光を放ち、力をみなぎらせる。
私にとってはブラックボックスであり、
魔法の箱としか感じられない。
基本的な動作原理はわかっていると
しても、同じような部品がいっぱい並
んでいて、それぞれに役割と働きが
あり、しかも構成や部品で音が違う。
不思議で面白く、興味が尽きない。
アナログが全盛の40年前には私は
秋葉原のオーディオ専門店の店員
だったけれど、オーディオ製品の中
で音に一番支配的で重要なのは
プリアンプだと感じていた。
プリアンプ部には、LPプレーヤーか
らの出力をチュナーやテープなどの
他のライン出力と同じ音量にあわせ
るためのイコライザーアンプが入っ
ている。
これの音の差は本当に大きなものが
ある。
メーカーの実力や技術、あるいはオ
ーディオの哲学の見せ所であり、部
品の差も歴然と現れた。
柔らかい音、冷徹な音、鈍い音、暖
かい音、粗雑な音、千差万別だ。
世が手軽なCDへと移行するとともに、
音の差がでるものは無い方が無難
ということになり、メインアンプ(パワ
ーアンプと呼ぶ場合もある)のみの
アンプが増えていった。
アンプの音の差にいろいろと理屈を
つけてアピールする場合、回路のこ
とが多く説明されるけれど、スピーカ
ーを実際に動かしているのは電源部
で、アンプ部分はその音量の制御を
しているにすぎない。
だから回路以上に電源部の質の差
が音に出る。
動作が不安定でノイズが多いものは
再生音にそのままその余分な音が
のっていく。
電源部を疎かにしたものにろくなも
のはないけれど、ただ大きければい
いというものでもない。
実効出力が50Wとか100Wとか書い
てあると、大きい方が余裕があって
安定したいい音が出て、高級だと
思われがちだ。
けれどアンプには部品に由来する
ノイズが必ずあるので、出力が大き
いほどそのノイズも大きくなってしま
う。
大出力のアンプほどその雑音につき
あわなければならない。
こうしたノイズは音楽の微妙なニュア
ンスを消し、匂い立つような存在感
を感じさせなくしてしまう。
それを補うために低音や高音を強調
してアクセントをつけ、音のメリハリを
つけるごまかしが横行する。
迫力は増しても音は自然な柔らかさ
を失って、鈍く、重いものになってし
まう。
高級な製品ほどこうした傾向は強い。
そしてそんな鈍った中にニュアンス
を求めて無理に聴こうとするので、む
やみに音量を上げたくなる。
音のニュアンスを感じるアンプは、極
端な大音量はでなくても微小な音の
再現性にすぐれている。
いかに大きな音が出せるかではなく、
小さい音と大きい音の差=ダイナミ
ックレンジの広さが大切だ。
雑音が多ければ、その分ダイナミ
ックレンジは狭いものとなる。
私の経験では50~70W位の出力の
アンプで電源部が丁寧に作っられコ
ストもかけられている製品が好ましく、
共感を覚える。
現行の製品ではFIDELIXのCER
ENATE(143000円)、古い製品で
はONKYOのA-1E(定価18万、
中古で約4万円)が私の嗜好にあ
い、多くの人にもおすすめできる。
シビアに音の差を表現し全てを暴き
出すような厳しさを持ったモニター的
なCERENATEに対して、伸びや
かでゆったりと音楽を楽しめるA-1
Eという個性の差があり、私にはどち
らも手放せない。
この価格を高いと思うか、そうは思わ
ないか、価値の違いはあると思うけ
れど、100万どころかもう一桁も多い
価格の製品を上回る、究極の性能の
アンプを思い通りに使う快感は後戻
りすることができない。
少ない小遣いの大半をLPやCD、
オーディオ製品につぎ込む暮らしを
もう50年近く続けている。
音量さえ気をつければ誰の迷惑に
なることもない。
人間の生きる悦びや哀しみ、魂をゆ
さぶる存在の重さ、自分の到らなさ
など多くをオーディオや音楽を通じ
て感じることができる。
とても健全だと自分では思うのだが。

オーディオの今や昔の話 その4 CDと新しい技術

オーディオの今や昔の話
その4 CDと新しい技術

アナログのLPからデジタルのCDへ
移行した時は画期的で、私のような
音楽愛好家の価値観が変わってし
まうほどだった。
それは必ずしも心地よいもの、よりよ
いものを得たというより、質よりも手軽
さや便利さが優先される時代がきて、
それをいやおうなく受け入れざるを
えないことへの驚きだった。
それほど初期のCDの音はひどいも
のだった。
その後もMDやら他のデジタルの媒
体が出現したけれど、根本的には改
善されていない。
そうすると構成がシンプルで、技術
的に洗練されてきたCDの方がかえ
って良いとさえ思えるようになってく
る。
発売当初のCDは未来をひらく夢の
音源としてあつかわれていた。
機種による音の変化はなく、高級品
も普及品も同じような音がでるだろう
といわれた。
けれど蓋を開けてみると、音の差はと
ても大きいものがあった。
全体にギスギスしてうるさいものが多
く、それをごまかすために独特の音
色を加えてのごまかしもあり、とても
ゆったりと音楽にひたれるようなもの
ではなかった。
比較的聴きやすいものもあったけれ
ど、価格とも必ずしも一致しなかった。
測定器で測ればどれも規格には納
まって、雑音も歪も少ないのだけれ
ど歴然とした音の差がどこからくるの
か理解できなかった。
デジタルノイズを減らすため、オー
バーサンプリング等の技術で少しは
よくなっても根本の解決にはつなが
らない。
それがマスタークロックのジッターと
いうノイズが大きな原因とわかり、驚
くほどの進歩があった。
100万円を越す超高級機でも必ずし
も達成されていないものがFIDELIX
というメーカーのDAコンバーターや
CDプレーヤーはクリアしてレベルの
違う再生音を聴かせるようになって
いる。
マスターテープに近い繊細な音を、
アナログを扱う手間や難しさなしに
楽しむことができる。
音のふくよかさやボディではアナログ
の方に分があるけれど、空間の再現
ではCDが上だろう。
空間に音が広がり、それが反響しな
がら私たちを包み、漂うようなホール
の豊かな響きに溶けこむ。
CDにこれほどの音楽の情報が入っ
ていることをほとんどの人は知らない。
けれどここまでくるには多くの技術の
蓄積やFIDELIXの社長の中川さん
の天才的ひらめきがある。
新しい技術が私たちに良いものをも
たらすわけではない。
工夫と創意、熱意。
人の努力の結晶が熟して感覚とつな
がり、技術が私たちに有用なものと
なる。
機械や科学といった無機的なものが
人間により添っていく。
また一方、人間が機械に影響を与
えることもある。
オーディオ製品は使う人によって音
が変わってくる。
使っているこちらの気持を反映し、
聴く音楽やその質によって再生音の
質もそれなりに変化する。
理屈では説明できない要素があるか
ら、オーディオはいつまでも興味深く
面白い。
機械との葛藤や一体感、ドラマなど
がうまれる。
新しい技術で目先の変化だけを追
ったものにはこの楽しさはない。
現代の早いテンポの変化はこうした
成熟を待てないし、それが入り込む
余地を持っていない。
たかがステレオだけれど、されどステ
レオであり、音楽を楽しむ重要なア
イテムというだけでなく、人の努力や
人生を写すものでもある。
そこには当然失敗や挫折、達成する
悦びなどの過程が必要だし、目新し
さにごまかされない確かな感覚や冷
静に見守る視線も要求される。
オーディオ機器は暮らしを支え、精
神の成長を助ける道具としての価値
を、いまだにもちえている。

オーディオの今や昔の話 その3 ニア・フィールド・リスニングへの道

オーディオの今や昔の話
その3 ニア・フィールド・リスニングへの道

「大は小をかねる」「大きいことはい
いことだ」という言葉たちも最近は聞
くことがなくなった。
世は省エネ時代となり、バブリーなも
のは敬遠されるようになった。
前回スピーカーは小さい方がいいと
書いたけれど、アンプでも大きなパワ
ーを出すものには欠点がある。
アンプは部品に由来するノイズが必
ずあり、大きな出力を持つものの方
が雑音も大きい。
大きいものを小さく使えば余裕があ
って再生できそうなものだけれど、
耳をそばだてれば聞こえるノイズと
いっしょでは、音楽の細やかなニュ
アンスはつぶされ、大味で透明感の
ない、鈍い音になってしまう。
その鈍さをごまかすために低音や
高音にアクセントをつけるのはスピー
カーとまったく同じ発想だ。
こうした強調された音を好む人もいる。
もちろん趣味の世界なのだから、ど
んな音が好きでも、どう音を出しても
自由なのだけれど、オーディオマニ
アやジャズマニアの好む、ベースや
ドラムがドスーンと響き、シンバルが
カーンとなるような音は不自然で、き
わものだと言わざるをえない。
実際のベースやシンバルはそんな
音はせず、柔らかく爽やかな音がす
る。
もてあますほどの生きるエネルギー
の発散としてカタルシスを求めてい
るのかもしれないが、それを押し付
けられるとこちらには迷惑だ。
威力を誇るのではなく、恥ずかしい
こととして、目立たないように片隅で
やってもらう品格を望みたいと思う。
江川先生はまさにこうした偏見と戦
い、新しい世界を切り開いていった。
便利さや、見かけの分かりやすさ、
次々に生み出される技術と言葉たち
に目を眩まされずに、自らの感覚で
オーディオの世界を組み立て直して
いった。
それでも最初は物量での対処から
始まった。
20cmのフルレンジ・スピーカーを家
の柱に固定し、振動をできるだけ抑
えて、壁に埋め込んだ。
けれど物量には際限なく、投入すれ
ば効果があるけれど限度が見えず、
どこまでいってもこれでいいという一
線がやってこない。
そこでスピーカーを小型化して、低
音の量は諦め、余分な振動を減らし
た質をもとめる方向に向かった。
スピーカーの箱の形状をつきつめ
これも結局小さなものの利点が明ら
かになった。
セパレーターという板を左右のスピ
ーカーの間に入れることで、左右の
音のつながりの向上を図ったことも
あった。
また左右の間隔を狭め、スピーカー
を外側に向けて置く「逆オルソン」と
いう設置で、音場の密度と自然な響
きを追求したこともあった。
スピーカーのまわりにはなるべく他の
ものが無いほうが音がいい。
音が伸びやかに広がり、空間が感じ
られる。
「音の自然なたちふるまい」を求め、
窓を開けて再生した方が音がいい
というところまでいってしまった。
ひとつ断っておかなくてはならない
のは、こうした追求が禁欲的で、理論
のために感覚を犠牲にして我慢する
というものではなく、あくまで感覚の
悦びを求めてのものだということだ。
音量や低音の威圧感はないけれど、
「音のダイナミズム」と表現される絶
妙なニュアンスと音のビビットな表情、
小さい音と大きな音の使い分けによ
る演奏者の意図を感じる存在感があ
る。
そしてこれらの追求は「ニア・フィー
ルド・リスニング」へと終結していく。
スピーカーにこちらが近づくほど、
周囲の物や部屋の影響を受けなく
なっていく。
また左右のスピーカーの音の混じり
あいによる音の濁りも無視できるよう
になる。
それならヘッドホンの方がいいだろ
うということになるけれど、音は耳から
だけでなく全身で感じ、特に顔の頬
は多くの空間情報を感じている。
それらがなくなることで違和感があり、
音像といわれる音を出しているイメー
ジが頭の中に結ぶ違和感もある。
また脳に直接刺激があるので、頭が
疲れてしまう欠点もある。
ニア・フィールド・リスニングの基本は、
20~30cmの間隔に置いたスピーカ
ーに接近し、その間に顔を入れるよ
うにスピーカーから10~30cmまで近
づいて音楽を聴く。
音のリアルな存在感と自然な音場が
両立し、目の前にステージがあり、そ
こで今まさに演奏家が音を出してい
るような臨場感が感じられる。
以前晴屋で提供していた「愉音」の
シリーズはこれを想定したものだ。
また小型のスピーカーを使って、普
段は机や本箱に置いておき、真剣
に聴きたいときだけ、取り出してその
世界に入り込むこともできる。
スピーカーの間隔や距離は、その人
によって好みの個体差があるようだ。
これは実際に試してもらうしかない。
今まで聴くことのできなかった音楽
の表情を楽しめる。
もちろん演奏のアラを感じて、今まで
楽しんでいたものが楽しめなくなる
場合もあるけれど、それもまたひとつ
の成長であり、深化といえるだろう。
本当に人間に有用なものは、持つこ
とによって世界が広がるが、こちらの
姿勢が問われることもある。
江川先生はオーディオをそのレベル
まで押し上げたのだった。

オーディオの今や昔の話 その2 山椒は小粒で

オーディオの今や昔の話
その2 山椒は小粒で

「Small is beautiful=小さいこと
は美しい」という言葉は、シューマッ
ハという経済学者が提唱したそうで、
それなりに聞くことが多いので西欧
では一般的な概念かと思っていたの
だけれど、実際はそうでもないようで、
彼らの常識とはあまりにかけ離れて
いるのでインパクトが強く有名になっ
たようだ。
けれど日本には昔から小さくて、美し
く、精巧なものを愛でる美意識があり
綿々と続いていた。
それが時計などの精密な機械や、
小型で高性能の電気製品を生み出
す土壌となっていったのだろう。
けれどスピーカーなどのオーディオ
製品に関しては小さいものは、仕方
なく我慢して使っていると感じている
人が多いように感じる。
原理的に言うのなら、スピーカーは
小さい方が圧倒的にいい。
大きくて立派なものは、プライドを満
足させる手段とはなっても、生の音を
きちんと再生するという本質からは離
れてしまっている。
クラッシックなどのアコースティックな
楽器の音を録音するとき、録音の現
場では主に、数10センチの間隔に
置かれた2個のマイクで録音する。
決してホール全体の音を記録してい
るわけではない。
そしてマイクの口径は約2センチほど。
だから2センチの口径のスピーカー
を数10センチの間隔で音を出せば、
元の音にかなり近くなる。
けれどそれでは高音は出せても、低
音はほとんど聞こえないし、音量もと
ても小さい。
低い音をだすためには空気をたくさ
ん動かさねばならず、大きくて重たい
コーン紙と呼ばれる振動版を大きな
振幅で動かさなければならない。
けれど大きなコーン紙は重たいため
に動きが鈍く、素材の固有の共振音
といわれる音のクセが大きくなる。
大きなスピーカーは高音にはまった
く対応できないので、別に2個、3個
と中高音用のスピーカーが必要に
なる。
それによって低音も高音も出るように
なるし、音量も上げられるようになる。
けれど、元もとひとつのものを分けて
音をだしても本来のものと同じには
ならない。
重く、固く、動きが鈍い上に素材の
固有音が加わり、こもったり、特有の
響きが音に加わったりする。
それをごまかすために、低音や高音
の特定の音を強調して音のメリハリ
を演出する。
いたちごっこといってもいい状態で、
音はますます本来のシンプルで伸び
やかなものではなく、硬くこわばって、
やかましいものとなる。
つぎはぎで、低音と高音が強調され
た、いわばフランケンシュタインのよ
うな不自然な状態だ。
けれど視点を逆転させて、低音や高
音はある程度でればいいけれど、音
楽の中核となる中音をきっちり再生
できればいいと思いきると、そこに違
う世界があらわれる。
そして音のダイナミックさということで
言えばむしろ小さいものに歩がある。
人間の感覚は精妙にできていて、小
さな音にも反応し感じることができる。
だから良質なものであれば小さな音
の中にも音のダイナミズムは充分に
感じることができる。
けれど壊れたつぎはぎの音では感じ
ることが少ないため、音の細かなニュ
アンスを求めてますます音量を上げ
たくなる。
私の感覚ではスピーカーは4~8cm
の口径のシングルコーンといわれる
1つのスピーカーで全帯域をだす、     
フルレンジというタイプの良質のもの
がいいと思う。
そしてそれでどうしても満足できない
場合は20cm口径のウーファーと、
ツイーターとよばれる高音用のスピ
ーカーを組み合わせた2ウェイという
タイプをおすすめしたい。
このくらいの大きさの2ウェイなら、慎
重に良質のものを組み合わせれば、
音楽の基音をウーファーにまかせ、
倍音をツイーターに再生させること
で、つながりの良い、自然な音をだ
すことができる。
音楽を日常の範囲で楽しみ、あきず
に生活の一部としてとりいれ、より積
極的に自らの暮らしをよりよいものと
しようとする人たちには、これ以上の
ものは不要と言っていいと思う。
生の音はクリアなのに、限りなく柔ら
かい。
大きなものに憧れる幻想を捨て、小
さなものに美しさを感じる文化が育
たなければ、オーディオは本当の文
化にはなれない。
今のオーディオの退潮は、こうした
文化が本当には育っていないため
であり、オーディオ評論家や一般の
オーディオマニアの責任には大きな
ものがあると思う。
山椒は小粒でピリリと辛い。

オーディオの今や昔の話 その1 どこで聴いてるの?

オーディオの今や昔の話
その1 どこで聴いてるの?

江川三郎は、日本だけでなく世界で
も知られたオーディオの達人だった。
ふつう評論家といわれる人たちは、
製品の評価を生業としている。
江川先生は提案と実験を繰り返し、
オーディオの価値観を本質的に変え、
新しい分野を拓いた革命家に近い
存在だった。
江川先生が言い出すまで、スピーカ
ーなどのケーブルで音が違うなどと
いうことは考えもつかず、「UFO現
象」とか「妄想」として批判された。
けれど今やケーブルで音が変わると
いうのは常識であり、ひとつの専門
分野となって、1mで数万円するもの
まで出現している。
そうした行き過ぎに対しては、余分な
音をつける一種のごまかしとして批
判されていたけれど、新しい地平を
拓いたことには違いない。
それだけにはとどまらず、電源コンセ
ントの差し込む方向で音が変わる、
スピーカーは少なく小さい方が音が
いい、アンプも小出力の方に優位性
がある、LPプレーヤーはダイレクトド
ライブよりもベルトドライブの方が音
がいいなどそれまで常識とされてい
たことを覆し、それを具体的に実証
していった。
反骨の風雲児でメーカーにとっては
少々困った存在ではあっても一目置
かれ、世界中の技術者が注目して
いた。
私も秋葉原の初期のイベントに毎度
参加し、多くのことを体験をもって教
えられた。
そしてその権威にしばられない気さ
くな人柄と、物事を前向きに楽しん
でいく姿から、人生の生き方の師で
もあったというべきだろう。
その先生があるとき、「松橋さんは何
処で音を聴いてるの?」と質問された。
オーディオの教科書にはオルソン式
といって、スピーカーを2点の底辺と
する正三角形の頂点の位置で聴く
のが最良とされている。
ところがそこで聴いてると何故か落ち
着かない。
長い時間聴いていると疲れてしまう。
それで私は比較的間隔を狭めて置
いた2本のスピーカーを底辺とする
長方形の少し外側で聴いている。
こうすると片側の音を主に聴くことに
なるけれど、音場の立体感は感じと
ることができるし、何より聴いていて
疲れることがなくなる。
こんなことを先生に伝えると、「そうな
の、ぼくもそうなんだよ」と言われた。
この感覚を持っている人は少ないの
かもしれない。
ステレオで音楽を聴くのに緊張や刺
激を求める人もいるだろう。
けれどゆったりと音の響きを楽しむの
には、この方にずっと優位性がある。
常識に捉われず、自分の感覚でより
よいものを探りあてている者同士の
連帯のような感覚がそこにはあった。
この現象を私なりに言葉にしてみる
とこうなる。
自然の音や楽器の音は、一点から
発して丸く均一に広がっていく。
モノラルは一個のマイクで録音し、一
個のスピーカーで再生する。
ステレオというのは同じものという意
味で、ひとつではなく2個の同じもの
で録音し、再生するということだ。
それによって左右の広がりや奥行き
が表現できるようになった。
けれど元々一つから出たものを二つ
のマイクでひろい、音の大きさや時
間差の微妙な違いで左右の差を表
現するのだけれど、本来は一つのも
のを違う場所で録った二つの別のも
のとして再生するとき、それはまった
く同じものではない。
水面に広がる一つの波紋を、別の場
所からの二つの波紋で再現しても同
じものにはならない。
私たちの耳や頭はそれなりに優秀な
ので、頭の中で組み立てなおし、左
右の広がりや奥行きとして理解して
いる。
けれど本来のものではないため、ど
うしてもストレスを感じ、疲れてしまう。
演奏者の息吹きを感じる音の微妙な
ダイナミズムを常に求めた先生には、
これがどうしても納得のいかないこと
だった。
晩年には「ぼくは生涯をかけてモノラ
ルを広めていこうと思っているんだよ」
とまで言っていた。
モノラルには左右の広がりはないけ
れど、音の奥行きや存在感はより明
確に感じることができる。
私のような凡人には及びもつかない
情熱と創意がそこにはあった。
けれど今のオーディオの世界にその
熱意を感じることはごく稀にしかない。
ごくごく一部の人しか興味を持つこと
がないオーディオの世界だけれど、
安っぽい申し訳程度のものか、やた
ら大げさで自尊心を満足させる手段
としか思えないものが幅をきかせて
いる。
世の片隅で、少数の人たちにしか伝
えられないことではあっても、音を愉
しむためには貴重な情報となることを
書きとめ伝えるのも、古びた人間の
使命であるかもしれない。
時代遅れのものの中に実は真実が
隠されていることもある。
みなさんの音の楽しみに少しでも参
考になればいいのだけれど。

晴屋の青い扉 その77 約束の音

晴屋の青い扉 その77
約束の音

最近また、レコードの音を聴く機会が増えている。
レコードという言葉も死語になりつつあるけれど、以前は音楽を聴く
としたらまずこれだった。
黒いビニール盤に無数に溝が刻まれていて、光によって円形の筋
が虹色に輝く。
私がオーディオに興味を持ち始めた50年ほど前には、カセットで
はないオープンリールのテープか、FM等のラジオ、そしてレコー
ドといわれる円盤状のディスクしかなかった。
学業や部活の間にアルバイトをして、年に一枚か二枚のLPを買う
ことしかできない中学生であった当時よりは手に入れられるアルバ
ムの数はふえてはいるけれど、相変わらず貧しいことに変わりはな
い。
そうして欲しくてもあきらめたオーディオ機器もいくつかあるけれど、
もっとも欲しいと思っていた50万円のアナログ用のアンプがリニュ
ーアルされ、よれ進歩したものが20万円ほどで発売されると、もう気持
を抑えることができない。
アルバイト?で、オーディオ機器を製作したり、遠方までステレオ
のセッティングに行ったり、手持ちの機材を売ったりして、細い糸を
たくさん伸ばして獲物を手繰りよせる蜘蛛のように、自分の手の内
のものとしてしまった。
それで私は、忙しい時間の中にレコードを聴いて静かに過ごす
心ゆく時間をすべりこませているはずだった。
けれど、私に付いている神様はそう簡単には無条件の悦びなど与
えてはくれない。
私の頭と身体がイメージする音がどうしても出てこない。
理想という絶対的なひな型と違うから納得できないのではなく、私
の感覚がこれは違うと砂漠で水を求める者のように喘ぎ訴える。
頭ではこれだけのものを使っているのだから、いい音のはずだと思
っても、感覚がこれは違うと言う。
それからの半年は、挫折と葛藤と格闘の時間の連続だ。
人造大理石を使ったキャビネットに始まり、モーター、進相コンデ
ンサ、アーム、ケーブル、シャフト、などあらゆる部品を交換し、吟味
しなおした。
その都度改善されるのだけれど、まだある一線を越えられない。
最後に信じて疑っていなかったディスクスタビライザーというレコ
ードとターンテーブルの振動を抑えるためのものが原因と、アンプ
の開発者であるフィデリックスの中川さんの指摘でわかり、一気に目
の前の霧がはれたように音がほぐれ、生き生きした表情をきかせる
ようになった。
この時間の経緯を今となっては貴重な経験として自分の糧にな
ったと感じるけれど、さなかでは闇の中を手探りで進んでいるよう
で、自分がどこにいるか、目的地がどこなのかも分からなくなって
しまう。
部品を少しでも変えると必ず音が変化するのがオーディオなのだ
けれど、変わったからといって良くなったとは限らない。
欠点を補うためにしたことが、また新たな欠点を生み出し、音が混
濁して見通しが悪くなり、色を重ねすぎた水彩画のように光を失っ
ているのに、それを豊かさと見間違えることは多くある。
何度も基本に戻って、ボタンのかけ違いを正し、やっと最後にな
って、あるべきものにたどり着く。
約束はされていなかったけれど、必ずあるはずだと信じていたもの
に出会う悦びはやはり大きい。
人生の目標の中の大きなものを得たような達成感がある。
それは新しくもあるけれど、とても懐かしいものでもある。
心地よい音に包まれていると、私の心は音楽を忘れて流動し、音
からも現実からも離れて見知らぬ空間を彷徨う。
そして時折音の奔流に帰ってきて、音楽の美しさに少年のように心
をときめかす。
弦楽器を奏でるときの独特のこする音は特に好きで、重奏で音が
調和しながらひとつひとつが手にふれられるようにはっきり感じられ
たりすると、ゾクゾクしてしまう。
子どもの頃からこの音を好み、これがどれだけ再生できるかいつ
も考えていたっけなどと昔の感覚をよび戻していると、年月も空間
も消えて自分をひとつのつながる命として実感できる。
自分と向き合うことができる、かけがいのない時間だ。
50年の道のりが一瞬だったような宇宙の中のひとつの結晶としての
命の感覚だ。
CDの音は目前で鮮やかにきらめくけれど、実体を感じられず、感
覚の表面をなでて通り過ぎていく。
LPの音にはボディがあり、いまそこで音楽が生まれる新緑の芽吹
きに立ち会っているようなときめきがある。
どちらがいいというものではないかもしれないが、心に深く音をし
みこませるにはLPに分がある。
とりあえずのごまかしに逃げずに道を誤らなかったのだとつかの間
の安堵を感じられるし、また新しい一歩をふみだす力をえるなど
という経験もアナログのレコードだからこそえられるものだ。
必然を必然として感じられることこそ魂の糧となるものだろう。

江川三郎先生を偲んで   思いを残さずに生ききる

江川三郎先生を偲んで
思いを残さずに生ききる

江川先生が1月18日に逝去された。
1時間後くらいにお嬢さんからご連絡をいただき、残念な気持とともに
数々の思い出がよみがえり胸が熱くなった。
私にとってはオーディオの師匠であるにとどまらず、人生の生き方ま
で伝えていただいた貴重な先達であり、その足跡は私の仕事のあ
り方とも大きくかかわるものなので、みなさんにもお伝えしたいと思う。
先生は当初、オーケストラのマネージメントの仕事をしていたが、40代
から本格的にオーディオの評論をはじめ、以降他の人が考えもつか
ない視点で新しい世界を拓いていった。
「ケーブルによって音が違う」
「電源のコンセントの差込方向で音が違う」
「トランスやモーターの電磁波が音に影響を与える」
「スピーカーの箱鳴りが音を悪くする」
「アンプやスピーカーなどの支点をしっかり支えないと音が悪くなる」
「巨大化はデメリットが大きく、小さく軽い方が音が良い」
これらは今ではオーディオ界では常識となっていることたちだが、当
時は変人扱いされながらも、先生が情熱を持って世に広め、日本だ
けでなく世界へも大きな影響を与えた。
結果としてみれば極めて合理的なことで、今となっては疑う人もないこ
とだが、先生は感覚ひとつで探り当て、それをさらに理論で解明し
伝えていった。
その常識や先入観にとらわれない、音そのものを確実に判断し、それを
新しいものに結実させて、音の世界を広めていった原動力になった
のは、すぐれて健全で、真っ直ぐで、濁りのない直感力だ。
誰も頼りにしない、誰のためでもないその直感のひらめきで、世の流
れを変えていった当時は正に「天才」の名に値する勢いにあふれて
いた。
しかし今にして思うともっと凄いのは、決して偉ぶることがなく、いつ
も気さくで、正直で、飾らないことだった。
むしろ権威を嫌っていたように感じられる。
これはなかなかできることではない。
特に年齢を重ね、創意が減退していった時には人は権威に頼ろうと
する。
しかし先生は最後までそうはならなかった。
これはオーディオ以上に私には大きな教えとなって、一つの生き方
の規範として、心に刻まれている。
私は若い時、秋葉原のオーディオ専門店に籍を置き店員をしていた
ので、比較的音の客観的判断力には自信を持っている。
そして直感的に何をどう組み合わせ、どう作ればいいだろうかという
感覚もあるほうだと思う。
秋葉原で先生が主催していたイベントの初期には参加して多くのこと
を教わったけれど、先生と私の反応はきわめて近いものがあった。
それで新しいアイテムが見つかると「松橋さん、これ試してみてよ」と
制振金属や新しく工夫した金コロイドケーブルなどを手渡された。
ご自分の感覚で良いと判断されたものを追試してほしいという意向と
感じた。
押しかけの弟子ではあったが、ずいぶんと可愛がっていただいたと
思うけれど、それには私の職業も大きな影響があったかもしれない。
先生は無類の美味しいもの好きだった。
イベントのときもっていった天然酵母のパンや寺田本家のお酒、無
添加のアタリメなどに満足の笑みをうかべ、本能でここには美味しい
ものがあると感じていただろう。
いやむしろ、先生にとってはオーディオも食べることもひとつのことだ
った。
そういう意味で先生と私は感覚を共有していた部分があったと思う。
後年先生が秋葉原のイベントに行かなくなり、地元の阿佐ヶ谷でそれ
の続きのような会が開かれたとき、私は自分の機材を持ち込んで、会
の維持に協力した。
FIDELIXの中川さんの新しいアンプなど、ぜひ先生に聴いてほしか
った。
先生はまだ頭もしっかりしていたし、耳の判断力もきちんとあったので
まだオーディオ業界で先生に頑張ってもらわなくてはというこちらの勝
手な思いからのものだった。
しばらく続いたのだけれど、最後の会のことは今も忘れられない。
何がテーマだったかは忘れたけれど、先生は自宅から歩いてこられ、
かなりお疲れで遅れて到着された。
着いて安心したのか、私が話を進めている間に居眠りを始めた。
私を含めて数人の参加者は気付いていたが大人の態度で、見て見
ぬふりをしていた。
けれど娘さんといっしょに来ていた四、五歳のお孫さんが「おじいちゃ
ん、寝ちゃだめ!」と言っておこそうとした。
家庭内では先生とその子は、食べ物のことで競合関係にあるらしい。
けれどその後、先生のその子への態度が変わったという話を娘さんか
ら聞いた。
その時、そのお孫さんが一番先生とちゃんと向かい合っていると感じ
たし、先生もそう思ったのだろうと想像する。
私は先生が偉いオーディオ評論家としてでなく、ひとりの老人として
生きていこうとしていると感じ、以降先生を刺激してこの業界にとどまっ
て影響力を維持してほしいという願いを諦めようと思った。
それは人間としてまったく見事な選択だし、尊重されなくてはならない。
権威や過去に縛られず、やるだけやりきって思いを残さず、ひとりの
素の人間として生きていく。
私はまた先生から大きなことを伝えられたと感じた。
昨年、先生と同年代の母親を同じ病で失ったけれど、二人とも私の
中には生きていて何かの光を灯し続けている。
心からご冥福を祈ると共に、感謝と尊敬の念をお伝えしたい。

愉音が改名しました

P1010642

P1010647

P1010652
少し前にご紹介したコンパクト・オー
ディオ・システム愉音は好評で、年末
の忙しさもあいまってご注文をいただ
いてから2~4週間ほどお待ちいただ
く状況です。
なんとか今年中にはお届けできるよう
にしたいと思っています。
ところで愉音「タワー」としてご紹介し
たシステムですが、作っているうちに
違う連想が湧き、愉音「木だま」と改
名することにしました。
もののけ姫のあれです。
そう見えるという人と、そうでもないと
いう人がいますが、本人は気に入っ
ています。

日常の中の異空間 コンパクト・オーディオのすすめ 愉音「木だま」新発売

日常の中の異空間
コンパクト・オーディオのすすめ
愉音「木だま」(19000円)新発売

音楽は瞬間瞬間に移り変わります。
固定することは不可能で、その変化を感じられなければ、芸術としてな
りたちません。
生の音楽には肉体から発するオーラP1010637P1010633のようなものがあり、その変化が身
近に感じられます。
半面CDなどの記録された音楽にはコンサート会場では味わえない楽し
みもあります。
好きな音楽を、好きなときに、好きな状況で楽しめます。
初春の寒々しいときにシューベルトのピアノ曲に浸り、天候が変わって
暖かな日差しが始まったら生命感あふれる伸びやかなモーツァルトの
協奏曲に切り替えることができます。
心に期して頑張らなくてはならない時にベートーベンの弦楽四重奏や
後期のピアノソナタで乗り切り、頭がくたびれたらブラームスの弦楽六
重奏で疲れを癒します。
こうした積極的な日常での活用では音楽はBGMなどではなく、暮らしを
いろどり、自立性を取り戻し、生活を自ら組み立てるための必需品となり
ます。
そんな時、一般に世に出回っているオーディオ装置のやかましく、うわ
ついた音だったら、暮らしの質まで貧しいものになってしまいます。
晴屋が以前提供していたコンパクト・オーディオ・システム「愉音」シリー
ズは50セット以上をお届けしましたが、部品の入手が困難になったの
と、私の体力の衰えから取扱をやめていました。
今回部品がまた入り始めたのと、以前よりシンプルな形状でお届けでき
るデザインを思いついたので、再開することにしました。
小さなスペースで日常空間に邪魔にならない大きさでありながら、音楽
の細部とダイナミックな動きをきちんと伝えることができます。
良質な部品によるシンプルなシステムで、余分な雑音が発生しません。
決して大きな音は出ないのですが、余計なノイズや共振が加わらず、細
やかな音の表情がわかります。
うるさい金属音やデジタルノイズとは無縁の自然で柔らかな奥深い音
が楽しめます。
卓上での使用を前提にしていますが、生活空間に溶け込んで、静かに
やさしく音楽を奏で、部屋の空気感を変えます。
またここぞという時、真剣に音楽に向き合いたい時は椅子に座り、顔と
近接して聴くことによって、コンサートホールの一等席にいるような臨場
感を感じます。
音に全身を包まれ、目の前のステージの空間や演奏者の息遣いまで感
じられる感覚は、日常の中に異空間が発生したような驚きの体験です。
CDの中にこんなに情報が入っていたのかとびっくりするでしょう。
これはひたすら良質の部品と音の原理をそこなわないシンプルな構成
の結果です。
音楽は基本的には近接し横に並んだふたつのマイクで集音し録音し
ます。
ですからマイクに近い大きさで狭い空間に並んだ小さなスピーカーで
再生し、それに近づいて聴くのが元の形に近いわけです。
2個、3個とスピーカーユニットを増やして並べ、大きなウーファーを使
うことが高級であると思われがちですが、それは原理的には正しい方
法ではありません。
音量を大きくしたり、音の細部を再現できないため威圧的な音でごま
かそうとする苦肉の策なのです。
私たちの日常空間にそんな音量は必要ありませんし、メーカーの高い
物を売りたいという都合にあわせる必要もありません。
小さくて良質であればいいのです。
けれど小さくてコストが高くないもので良質のものを選ぶのはとても難し
いのです。
そのためCDプレーヤーはもう10年以上前に発売されたソニーの中古
のものを選択するしかありません。
これはポータブルとしては究極の性能で、現在のもので代わるものはあ
りません。
アンプスピーカー部もソニー製ですがこちらは新品で、私のオーディオ
の師匠である評論家の江川三郎氏がこれを聴き「生きていてよかった」
と言ったものです。
そのためCDプレーヤーはメーカーの補償がつきませんが、晴屋で一
年間の補償をつけ、その後は3000円前後の有償での修理・交換で対
応します。
私が生きている限りは続けますのでおそらく10年くらいは大丈夫でしょ
う。
なお、ケーブルの接続を変えればCD以外でも、アイポットやテレビな
どでイヤホン端子のあるものなら使えます。
CDプレーヤーもいっしょに載せられる取り回しの良いプレートがつい
たものが19000円、より小さなスペースに収めるためにプレートのない
ものが18000円となります。
色はタワー部が無垢の白木、プレート部が渋い赤茶色、オイルフィニッシ
ュ(サラダ油)で溶剤は不使用です。
普通の100V電源が標準ですが、電池による駆動もできますので、野
外に持ってでることもできます。
音も若干、電池駆動の方が良質になりますが、数十時間が限界です。
生活にとりこめる大きさと価格ですが、暮らしに潤いと新しい発見をも
たらす大人のための「どこでもドア」です。
「タワー」から「木だま」に改名いたしました。
いくつか作って並べてみたところ、「もののけ姫」のシーンを思い起こして
しまったためです。
音が響きあう感じもぴったりと思いました。

演奏者の息吹きを感じ、 音楽の感動を伝えるステレオ

演奏者の息吹きを感じ、
音楽の感動を伝えるステレオ

オーディオやステレオという言葉も今や死語に近づきつつあります。
携帯できる手軽で便利な機械が次々に現れ、誰にでも簡単に操
作でき、何でも手に入り、誰が使っても同じ音がでてきます。
けれどそれによって、より音楽を楽しめ、より感動が深くなって、
日常生活が豊かになっているかというと、むしろ反対の方向へ向
かっているとしか言いようがありません。
荒れた日々の生活の緊張を維持するための、行き場のないエネル
ギーをごまかす刺激的な音が世にあふれています。
そうした音楽やそれに対応した安っぽいオーディオシステムの音
は、頭に響きます。
シャカシャカとやかましいデジタルの音、ドスドスとやたらと低音を強
調したカーステレオの音、それに相応した表面的でその場のノリだ
けを追求した音楽たちは、頭を刺激しても、心の奥深くへは届きま
せん。
存在の一番奥深くで静かに燃える炎や、いつの世も変らずにある
魂の暖かさと感応するようなことはありません。
稀に高級なシステムで、胸に迫るようなものを感じることがありますが、
それも一時的な感傷性の範囲で、もっと深く、もっと身体全体がとろけ、
震えるようなものは、ほとんど見かけることがありません。
本来は録音された音に入っているはずの音楽のエッセンスを伝
えるべきステレオなのですが、なかなかそこまで行っていないのが、
現状です。
長い年月育まれて完成した生のアコースティクな楽器の音には、
輝きと柔らかさがあります。
大きな音でも決してうるさくなく、全ての音が聴こえ、驚くほど多く
の表情を感じます。
そしていつも艶と輝きがあり、音にニュアンスを与えます。
この「輝き」と「柔らかさ」の両立は極めて難しく、古くから多くのス
テレオはどちらかに重点をおき、個性を主張してきました。
音の立ち上がりを優先すれば、音楽の輝きや勢いを再生できます。
しかし余分な共振も付きやすく、うるさい耳障りな音になりがちです。
反対に余韻や響きを優先すると、音の豊かさは再生できますが、音
楽の生気が失われ、活気がないものとなってしまいます。
そしてこの両立を、高い技術とシンプルな構成で達成しようとして
いるのが、今回ご紹介するオーディオシステムです。
アンプとスピーカーは中古の製品を集めています。
20年ほど前までのオーディオ最盛期のメーカーたちは、技術を競い、
強い情熱を持って製品を開発し、世に送り出してきました。
その頃の製品には作る人の情熱や創意やひらめきを感じさせる物
が多くあり、また良質の部品を使い耐久性もあるために、少し手を加
えるだけで、今でも立派に通用します。
世の中で支持もされ、多く売れもしましたが、競争も激しく、開発費
や製造コストはかなり低く抑えられていました。
一方今の製品たちは、すでに技術的には行きついているために
創意や工夫は感じられず、また数が売れないため価格も非常に
高いものとなり、いきおいお金持ちたちのプライドを満足させるような、
安定はして見かけは立派でも、面白みのない製品が目立ちます。
おすすめしているアンプはオンキョーのA-1Eというもので、オー
ディオが衰退し始めた時期に技術者たちが最高の部品を使い、
手作りで組み上げた製品です。
もう最後なのだから、やりたいことを全てやっておこうという熱意と
誠意を強く感じます。
薄型でつまみも少なくシンプルで上品なデザインも好感が持てます。
定価は20万円ほどでしたが、今作ればおそらく50~100万円の価
格がつくと思われます。
晴屋ではメーカーでオーバーホールしたものの完動品を45000円とい
う価格に設定しています。
スピーカーもほぼ同時期のオンキョーの製品で小型のものがD-2
02A、中型のものがD-502Aです。
高音用に絹を振動板に使ったソフトドームのスピーカーで伸びやか
でも余分なうるささがありません。
D-202Aの方が暖かい音がし、D-502Aの方がよりダイナミック
な音です。
スペースが許せばD-502Aがおすすめですが、低音も良く出ます
ので、隣の部屋へ気を使わなければならない状況では無理かもしれ
ません。
どちらも今買えば2本で20~30万円くらいしそうな製品ですが、吸
音材の交換と音のチューニングをして、15000円を設定価格にして
います。
CDプレーヤーのみ新品を改造したものです。
デジタルには最新技術が必要で、メカがあるものは新しくないとトラブ
ルが多く発生します。
英国のケンブリッジ・オーディオというメーカーのCD10という製品は
シンプルな作りと部品の良さによる素性の良い音、すっきりとした
デザインに定評があります。
それをフィデリックスというメーカーをやっている中川さんに改造して
もらっています。
中川さんはソニーやスタックスでその当時最先端の高級機を設計
し、その後独立してフィデリックスを始めました。
マニアの間ではいつも話題になるメーカーで、デジタルもアナログも
最先端、最高度の技術を持っています。
クロックという主要部品を高精度でジッターノイズのないものと交換し
デジタルノイズを感じないものとし、電源のダイオードや3端子レギュレ
ーターも交換し、音の力強さと存在感を高めています。
それにより、CDでは不可能と思われていたアナログLPのような深い
音が感じられるようになりました。
本体のCD10は3~4万円ほどですが、改造を含めて75000円が
晴屋の価格です。
ちなみにこれほどのクオリティのない部品を使っての改造を頼むと
一般的にはそれだけで6~7万円が相場です。
私は秋葉原オーディオ専門店で働いていた経験がありますが、こ
の製品の質は私見では、100~200万円のCDプレーヤーでかなう
ものはありません。
その他ピンケーブルとスピーカーケーブルが2本づつ必要です。
ケーブルの違いは意外なほど大きく、アンプを変えた位に違います。
やたらと高価なものがありますが、余計な響きをつけて音を濁らせて
いるものが多くあります。
耐久性と性能と価格を考え、モガミという世界のスタジオで使われて
いるメーカーのプロ用の製品を選びました。
4本で1万円が設定価格です。
トータルで145000円ですが、全部まとめての場合は14万円になりま
す。
アンプとスピーカーは中古の製品で、かなりの重量物でもあり、傷等
はありますのでご了承下さい。
保障期間は1年間ですが、どちらも修理は可能で20年以上大丈夫
でしょう。
家庭で音楽を楽しむためには、スペースのことも考慮して、必要にし
て充分なシステムと思います。
これは標準的なシステムでご要望で内容の変更もできます。
このシステムではできないアナログの再生や、より大型のスピーカー
を使ってのジャズ喫茶を凌ぐ音、プロのモニタースピーカーを上回
る音等にもグレードアップができます。
ご遠慮なくご相談下さい。
納品は通常、ご注文から2週間位です。

2013年4月16日、「旬宴の会」で使用するオーディオシステム

2013年4月16日、「旬宴の会」で使用するオーディオシステムの補足説明です。
プレーヤーはヤマハGT750を江川三郎先生が改造したものです。
電磁誘導をなくすためフレームカットという技法でターンテーブルに切れ込みを
入れて、中心部分はガラスに変えて、制振性を高めています。
その後、松橋がモーター上部にカーボンランダムという磁気を通さない材料で
更に電磁誘導を減らして、おそらくは皆無の状態にしてあります。
それによってカートリッジにノイズが入らなくなり、よりクリアな音になりました。
プリアンプは、トリオ(現ケンウッド)の名器L07CⅡです。
素材の良さと良い意味での徹底した合理性で、素直で伸びやかで低歪な音です。
メインアンプはお馴染みFIDELIXのセレナーテ。
クリアで力強く、しかもオーバーシュート的な嫌な音が一切ありません。
スピーカーは日立HS350という隠れた名品を松橋が数十時間かけて改造しました。
有名なHS500(私の若いときの愛用機ですが)をはるかに上回り、JBL、B&W等
よりずっと自然で深い音が再生できると感じています。
補助のCDプレーヤーはイギリスのケンブリッジオーディオのCD10をFIDELIXで改造した
ものです。
クロックや電源用ダイオード、3端子レギュレーターの交換で極めてアナログ的な澄んで
伸びやかな音が再生できます。
そして今回の主役はカートリッジのテクニクス205C/Ⅲです。
205Cシリーズは私の若いときからの常用機のひとつでした。
細やかな分解能を持ちながら、音色の柔らかさが心地よく音楽に集中できました。
有名なシュアよりも私はこちらを評価して使っていました。
しかし残念ながら交換針の製造が終わり、折れてしまったカンチレバーでお蔵入りとなって
いました。
しばらく前にJICO(日本精機宝石工業)というところが特注で針を作っており、性能も
優秀だとわかりました。
オリジナルに近いものもありましたが、更に高性能というSAS(スーパー・アナログ・スタイラス)
針というものも出していると聴き注文してみました。
針の明細についてはメーカーの資料を添付しました。
針には基本的に3種類あり、丸針、楕円針、特殊形状(4ch用のシバタ針)の針があります。
丸針は太くて逞しい音だけれど少し鈍い感じがあります。
楕円針はより繊細で伸びやかな音です。
私はもっぱら楕円針を愛用していました。
しかしレコードとの接触面積が少ないため、レコードが削れやすいようで、10回ほど再生
すると音質が落ちてきてしまいます。
もちろんその後も聞けますが、どうも本来の音がしません。
それでその後は丸針を使って無難な音で聴くことになります。
今回SAS針を使って驚いたことは、結構初期のいい状態の盤面の音に近いのです。
接触面積が大きいため、削れたところをまたいで元のカッティングされた部分を再生して
いるような感じです。
けれどいいところばかりではありません。
アナログの雰囲気感がでないのです。
かなりCDに近いクリアな音です。
今までLPの音だと思って聴いていた音は、実は針の音だったのかとも思いました。
江川先生からもらったこのプレーヤーについていたカートリッジはとんでもない高級品
でした。
ZYX(ジックス)というメーカーの製品で10万円をはるかに超えます。
このカートリッジに極めて近い音がするのです。
調べてみるとこのカートリッジも接触面積の広い特殊形状の針でした。
今回、この針でどれだけアナログの楽しさを表出できるか、私の個人的な挑戦です。

ザ・CDプレーヤー2の発売

ザ・CDプレーヤー2の発売
世の中は次々に新しい規格や製品が発表され、日々進歩している
ように見えます。
しかし、10年前、いや30年前と比べても、製品やそれを使う喜びが
増しているかというと、むしろ後退し悪くなっているように感じます。
SACDやブルーレイ、I2Sなどの新しいフォーマットが現れますが、そ
れらを売ることで会社や経済システムが維持されているとはいえ、
必ずしもそれに従う必要はありません。
CDの音はすでに過去のものというマニアたちもいますが、私から見
ればCDに入っている音を本当には再生していないのではないかと
思えてしまいます。
今回ご紹介する新しいCDプレーヤーは、今までの常識を超えた素
晴らしさで、いわゆるCDっぽいシャカシャカと軽くやかましい音が全
くしません。
生の音は柔らかく刺激的ではないのに、音に張りと力強さがあります。
通常のオーディオ装置では両立することはできないのでどちらかを
中心に音を組み立てます。
ところがこのCDプレーヤーはそれを見事に両立しています。
低音は力強く、高音はなめらかに伸びきり、中音には温かさと柔らか
さがあります。
最上級のアナログを上回るこの音がCDから再生されるのは驚きとし
か言いようがありません。
興味のある方のために製品や技術の詳細を少しお知らせします。
本体はイギリスのケンブリッジ・オーディオ製のCD10です。
このメーカーは技術力もありますが、技術者の耳が良いことでも知
られています。
理詰めで作った音でなく、良質の部品を集めて組み立てていった
誠実さとセンスの良さを感じさせる音です。
それはデザインにも現れています。
黒い色のオーディオ製品は、メカっぽさや金属的鋭利さ、表面的
安っぽさが感じられるものが多くあります。
このCD10には全くそれがありません。
それどころか柔らかく暖かな雰囲気があります。
角に丸みをもたせ、アルミヘアラインという半光沢で質感のよいパ
ネルにし、文字も単純な白でなくグレーがかったものにし、液晶パ
ネルとレタリングに透明感のある青を使うことで、極めて好感のもてる
完成度の高いものになっています。
実売価格は3.5万円前後でそう高いものではありませんが、シンプル
な構成で素性のよさがあり、同じメーカーの上級機種がスイッチン
グ電源というパワーはあるけれどノイズが出やすいものであることも
あり、かえってこちらの方が良いようです。
このプレーヤーからCD本来の音を引き出したのがFIDELIXという
会社をやっている中川さんです。
中川さんはSONYやSTAXで世界に通用する製品を設計した技術
者で、自分の理想を実現するためにFIDELIXというブランドをたち
上げ、個性的で他の追従を許さない製品を発表してきた人です。
清瀬に住んでいて、秋葉原での江川三郎氏のイベントに一緒に
参加していたこともあり、相談にのってもらったり遊んでもらったりして
います。
以前ご紹介したザCDプレーヤー1ではパイオニアの25連装のPD-F
25Aを改造した製品を提供してくれました。
これもシンプルな構成で、100万円 のCDプレーヤーを上回る、嫌味
のない良い音でした。
しかし、今回のものは比べ物にならないくらいグレードアップしてい
ます。
FIDELIXの他の製品で、カプリースというDAコンバーターがあります。
デジタル信号をアナログ信号に変換するためのアンプで、他社の
100万円の製品より高性能だと好評でマニアの間で話題になってい
るものです。
16万前後で手に入れられるものですが、私は今までこれにパイオニ
アのPD-F25A改(改造済みの意)を組み合わせて使い満足してい
ました。
そのカプリースとPD-F25A改を合わせたものより、CD10改の単体の
方がはるかに音がよいのです。
CD10改の柔らかく細やかで張りのある力強い音を聴いていると、パ
イオニアの方はカサカサと艶がなく紙のような音に感じてしまいます。
人間の感覚というのはまったく勝手なものです。
よりよいものに出会うと、今までのものでは満足がいかなくなってし
まいます。
改造は3ヶ所です。
クロックというCDプレーヤーの心臓部をカプリースと同じものに交換
してあります。
クロックは発振器でこれからジッターが出ると、音楽信号にノイズが混
入します。
FIDELIXの独自の技術で開発した低ジッターのものが使われ、世
界最高レベルのSN比がえられています。
細やかで柔らかささえ感じられる再生音のもとになっています。
電源のダイオード数本を全て、ショツトキーバリアダイオードに交換
してあります。
この供給能力の高いダイオードは最近DENONでも使うようになりま
したが、中川さんが初めて製品に導入したものです。
これにより力強い低音と伸びのある高音が実現しました。
3端子レギュレーターという主要部品もカプリース同じものに交換
してあります。
滑らかで張りのある音の秘密です。
こうした改造を専門家に頼むと、通常クロック交換だけで5万前後、
他の部分で3万前後が相場でしょうか。
今度の中川さんの提供してくれるものは本体のCD10込みで、7.5万
円ということになりました。
もちろんデジタルアウトを使い、カプリースに接続すればよりよくなり
ますが、差はそう大きくはありません。
CD専用としてはほぼ完璧で極めてコストパーフォーマンスの高い
ものになっています。
それにより、今までシステムとしてオンキョーのアンプA-1E、スピー
カーD-502の中古を集め提供してきたもののCDプレーヤーもこち
らに変更になります。
江川工房の金コロイドナノケーブルを使った、スピーカーケーブル
とラインケーブル込みで14万円になります。
またこのCDプレーヤーは、枉駕での旬宴の会には持ち込んで楽
しんでいますので、興味のある方はおいでくだされば試聴できます。

作る楽しさ耕す人たち  その17 オーディオ評論家 江川三郎さん 創る楽しさと切り詰めて到る豊穣

作る楽しさ耕す人たち   その17
オーディオ評論家 江川三郎さん
創る楽しさと切り詰めて到る豊穣

「畑違い」という言葉がある。
野菜や食べ物を扱う私達八百屋と、音楽を聞くための道具であるオーディオ
の評論をする人では、随分と遠いイメージを持つ人も多いだろう。
しかし、常識に捉われずに新しい事を追求し、作る楽しさと生きる充実を求め
るという意味では教わることも多く、共通点もいろいろとある。
私が生きる先達として、文字通りの意味で「先生」と呼んでいるのは、整体の
佐々木先生と、この江川三郎さんしかいない。
江川三郎と言う名前は、一般の人にはあまり知られていないが、国内よりは海
外での方が有名かもしれない。
オーディオの世界で、様々な問題提起をして、多大な影響を与えている。
電源やスピーカーの接続のケーブルで音が違うといい始めたのはこの人だ。
コンセントの差込の方向でも音の差も言い当てた。
それまでは、そんなことはあり得ない事と、誰も気付きも言い出しもしなかった
事を感覚で探り当て、抵抗を押して、問題を提起する。
今では科学的にも証明され、高級オーディオの製品の差込プラグには、必ず
接地側の表示がされている。
勇気を持った発言が業界を動かし、認知されるようになった。
スピーカーなどのケーブルも、音に違いがあると理解されると、様々なメーカ
ーが飛びつき、1mで数万円もするような太くて凝った作りの物まで現れた。
しかし、その動きにも江川さんは警告を発する。
太いケーブルが本当にいいものなのか?
そんなにバカ高いものが本当に必要なのか?
こうした態度は、少しでも高いものを売ろうとするメーカーからは敬遠されるこ
とになり、国内や雑誌では冷遇される。
しかし、海外の有名なメーカーの社長や技術者は江川さんを訪れ、知識を
吸収しようとする。
それでも向う方向はどうしても太くてこもった音だ。
「彼ら(欧米人)は、穴居(洞窟)生活が長いから、こもる音が好きなんだ。そ
れが音の好みに出ているんだ。」と、低く張りのある声で、バッサリ切る。
例によって、晴屋の台所で、よく食べよく呑み、よく話す江川さんとのインタビ
ューは、オーディオの原点から聞いてみた。
「昔、鉱石ラジオというのがあったんだよ。天然の石だよ。その表面を針で探
るとさ、天然のダイオード効果で、ワーッと音が出てくる場所があるんだ。戦争
中(太平洋戦争)、東部軍管放送っていうのがあって、空襲の情報収集って
いうのが、オーディオの始まりだね。
終戦の時、中学生でそれから高校とずっと神田(秋葉原)通いしてさ、ラジ
オが貴重な時代で、僕みたいな素人が作っても売れるんだ。」
その頃のオーディオ仲間で同級生に菅野沖彦という人がいる。
この人もまた著名なオーディオ評論家だが、好みは対照的で手の込んだ高
級品しか認めない。
大きな会社の重役の息子で、お小遣いに不自由したことはなさそうだ。
「他人のこと羨ましがってたらさ、人間ていうのはさ。
限られた中でなんとかしようっていう気持ちがあったと思うよ。
同じ事をするのが面白くないんだよ。
出てきた時に音が気に入らないのを、お金で解決するんじゃなくてね。
ぼくはかなり早い段階でケーブルの事を言い出したよね。」
昔、ローサーというスピーカーがあった。
導線に銀を使っているものがあり、音が良かった。
それがどうしてなのか追求しだしたのが、ケーブルの研究のとっかかりだ。
生演奏に接する経験の豊富さもあって、感覚で感じたことを率直に知的に展開
し表現する。
頭で作った既成概念や妄想に捉われて感覚が曇ることが無い。
右脳と左脳が常に連動して動いている感じがする。
少年のときめきや閃き、悪戯っぽさを秘め、かなり高齢の今も若々しさを失
わない。
過去を振り返ることも無いから、自分を権威で守ろうともしない。
普通この位の高齢のお年寄りなら、「私はこれだけのことをやってきた、これ
だけの人間だ」と主張しそうなものなのに、私だけでなく誰にでも、気さくで柔
らかく前を向いている。
誰でも自分の「音」を持っているが、江川さんの「音」は、余分なものが徹底的
に切り詰められ、研ぎ澄まされている。
耳に刺激のあるうるささや、音の響きに頼った曖昧さが無く、微妙なニュアンス
や音楽の骨組みが聞こえる。
私には時として、あまりの情報量の多さのため、音楽に集中出来ないほどの
豊穣さなのだ。
そして、比較的廉価で良質な製品を徹底的に使い切る。
音色の個性や、低音の量感などで誤魔化した高級品とは対極の世界だ。
しかし、オーディオが文化としてなかなか本当に成熟しないのも、道具として
完成せず女性に受け入れられないのも、まだまだ余分な要素が多いからだ
と、江川さんの追及は続く。
「松橋さん、私は生涯をかけて、モノラルを広めようと思っているんだよ。」
オーディオ装置の代名詞にもなっているステレオという言葉は、本来「うり二
つ」というような意味だ。
それが右と左、二つの同等の装置で音が出て情報量が多くなり、スピーカ
ーの間の空間だけでなく、より広い音の再生が可能になったと思われている。
しかし、それでは空間情報が多くて、本来の音楽のダイナミズムが感じられ
ないと江川さんは言う。
モノラルは、一個のスピーカーから、一つの音だけを出す。
その方が、音楽の立体感や生々しさが、感じられるというのだ。
また、常識に真っ向から立ち向かおうとしている。
私もスピーカーの中央で音を聴くと頭が痛くなることがあるので、左右のスピ
ーカーの外側で聴くことが多い。
何気ない行動に意味があると分かり、納得する。
作る楽しさについても聞いてみた。
「人間に元々あるもんじゃないの。
創造の創だよね。
全く同じものでも、自分なりのものを創るうれしさだよ。
創るって言ったって、別に財産が失われるわけじゃない。
やればいいんだよ。」
全力で向って、悔いを残さない。
だから失敗しても、また次に向える。
何度かお邪魔したことがある江川家の広い居間は実験場だ。
工具や材料など、私には興味津々のネタが所狭しと積み重なっている。
小じんまり、まとまろうとはしない。
健全で、陽性の混沌だ。
ここは、「江川工房」も兼ねている。
業界に思う製品が無いと、自分で製品化して「江川工房」の名で、手が込ん
で量産に向かない手作りの製品を提供している。
私の江川さんとの付き合いは10年以上前、秋葉原で毎週開かれている「イベ
ント」と呼ばれている勉強会でだった。
オーディオ装置を売っていた経験もあり、スピーカーの自作もする私の「耳」
は、江川さんに買われているようだ。
今回のインタビューの時、新発売のケーブルを持ってきた。
「松橋さん、これ置いていくから、試聴して、評価してみてよ。」
頼りないほど細い無方向性の無酸素銅の銅線に金コロイドという粒子を塗っ
て、固いビニールで皮膜し、よじってある。
価格はピンケーブル1mペア、スピーカーケーブル2mペアそれぞれ2万円
弱!!
何日か後に試してみて、驚いた。
低音が締まり、高音のうるささやざらつきがとれた。
まるで別物ように軽々と深く音が出て、音楽が息づいて聞こえる。
返さなくてはとケーブルを外そうとしたが、もう我慢出来ない。
早速その場で電話して譲ってもらうことにした。
オーディオ製品は、レベルを上げようとすると大体10倍の価格を出さないと
納得できるレベルにならない。
私の小遣いには高価な買い物だが、定価18万円の私のアンプが、数倍の
レベルになると思えば、効果の割には安いといえる。
今までの、様々に工夫された高価なケーブルたちが、全て小手先のごまかし
にすぎなかったと思える程、交換した時の音の差は歴然だった。
というわけで、私はすっかり江川先生に、してやられた。
けれど、新しい発見と接する喜びがある体験は楽しい。
批判精神を持ちながら、否定ではなく、何かを作って解決する姿勢があるから、
はめられても、悔しいよりは、また次を期待したくなる。
混沌の中にある意志、切り詰めて行きつく豊穣。
これからも江川先生のご活躍を望むと共に、押しかけの弟子として、買わされ
たけれどまた何か勧めて欲しい、そう思われる八百屋になりたいと思う。

江川工房に興味のある方は、インターネットで「風雲 江川工房」を検索して 
下さい。私のケーブルの試聴の感想ものっています。
(この文章は2007年(晴暦27年)に晴屋通信に掲載したものです。)

生活に溶け込む音楽とオーディオ

音楽とは不思議なもので、上手く楽器を操って音を出せれば音楽
を楽しめるかという、かならずしもそういうものではないらしく、それはも
う必死で演奏に取り組んでいます。
よっぽどの天才か、年を経て経験を積み、ゆとりと緊張感を両立でき
るようになるまでは、どちらかといえば、苦しみの方が大きいのでは
ないでしょうか。
もちろんその苦しさには意味があって、それがなければ生きている
意味がないともいえるでしょう。
けれど、他に自分の課題をかかえている人たちにとっては、音楽は
かけがえのない喜びの源であり、この上もない楽しみの時でもあり
ます。
他人が必死になっているものを聴いて楽しむというのも考えてみ
れば変な話なのですが、そこに生きるということの綾があるように
も思います。
そんな私たちにとっては、オーディオ装置、いわゆるステレオは重
要なアイテムであり、演奏家にとっての楽器と同じに、音楽と一体に
なって至福を味わうための欠かせないものです。
ただいい音で音楽に入り込みやすいというだけにとどまらず、音楽
を受け取る姿勢や自分の内面と向かい合う感性の扉を開き、聴く
人の精神を形に表現したものともいえます。
だからとても大事なものだと私は思っているのです。
粗末な音を聴いてると粗末な人になるとまでは思いませんし、高
価な装置を持っているから立派な人だとも思いませんが、できる範
囲で音の質を高めようとする努力が自分の感性を磨き、新しい世
界を見る大事な鍵になっていきます。
いわゆるオーディオマニアたちの中には、機関車や雷の音をどれ
だけ生に近く再生できるかに血道をあげている人もいます。
道具としてオーディオ装置を考えれば、それもひとつの立場でしょ
う。
しかしそれでは、技術ばかり追求した音楽と同じで、機械的な完全
さや正確さが重んじられ、人間の感覚の精妙さが見落とされてい
きます。
私たちは演奏者の出す音の微妙なニュアンスに反応して、その人
の感じていることや作曲者の思いいれを感じます。
出ている音階が同じでも、演奏する人によって、感じるものがまった
くちがいます。
それと同じに、ステレオの音の違いも、私たちは大きく感じます。
ただ一般に音のいいステレオというのは、大きくて威圧的な音で有
無を言わせないような暴力的な音が多いようです。
オーディオマニアに無理に聴かされる音はそうした傾向が多くあり
ます。
しかし、コンサート会場で聴く音はアコースティクな楽器の音はどん
なに大きくてもうるさくありません。
音に張りがあるのにやわらかく、私たちを包み込みながら風のよ
うに流れていきます。
オーディオ装置で、完璧にそこまでいくのは不可能ですが、大き
な音量を求めなければ、やわらかな表情は再現できます。
場合によっては、演奏会場では感じられないような微妙なニュア
ンスを感じることができます。
私たちが求めているのはそうした、完全な生の音ではないけれ
どかなり肉薄して音を聴く楽しみには十分で、しかも自分の気分
や体調、気候や疲れに合わせ、日常の空間の中で楽しめたり、
癒してくれたり、あるいは鼓舞されたりするような、自分の内部の
ひそやかな部分に届く精妙な音の楽しみです。
それを伝えるために小型の「愉音」と名づけた小型のシステムを
提案し、50セット以上提供してきました。
いまだに「欲しい」と言って下さるかたがいらっしゃいますが、時間
と体力の関係でもう受注することができません。
ただ私も、できることがあるのに、黙っていることができないタイプ
の人間なので、別の形でより進化したものを提出してみようと思
いたちました。
価格は以前の「愉音」が2~3万円だったのにたいして、今度のは
13万円前後になります。
大きさも普通のコンポサイズで、より本格的な音の再生を前提に
しています。
枉駕で開いてる「旬の音楽と料理の会」で使っているものに近いも
のですが、よりパーソナルに楽しめる大きさと音になります。
東久留米の店では日常的に音が出ていますので、興味のある方は
聴いてみてください。
自分が楽しみたいときに好きな音楽を聴く。
これ以上の贅沢な楽しみは他にないでしょう。
演奏者の都合や体調につき合わされず、周囲の人間にも気を使わ
ないで、じっくり音楽に浸ることができます。
その時の気分や気候の変動によっての体調や感受性の変化に合
わせて積極的に音楽を選び、単に楽しむだけでなく、自分の暮ら
し方をプロデュースすることもできます。
店で仕事をしながら音楽を聴くことが多い私ですが、オーディオ暦
も40年を超えそれなりに経験を積んできました。
これなら多くの人に充分な満足を感じてもらえるだろうし、価格も性
能の割にはどうしようもないほどには高価でないオーディオ装置を
ご紹介したいと思います。
その人の個性や必要性に応じて内容は変わりますが、基本のシス
テムはCDプレーヤーとスピーカーとアンプからなっていて、総額は
13万5千円です。
スピーカーのみは中古の製品をオークションで手に入れて、それ
に手を加えてお渡しします。
現行のオーディオ製品は、コストダウンのために粗末な材料を使っ
たものが多いようです。
また以前のように大量には売れないので、量産効果も期待できない
ので、安くてもメーカーの意気込みが感じられるような個性的な製
品もみあたらなくなってしまいました。
それでスピーカーはオンキョーの15年ほど前の製品、D-202Aシリ
ーズから選んでいます。
このスピーカーは相当に優秀です。
音楽に一番大切な中音が充実していて、音に存在感があるのに妙
なうるささがありません。
今売っているスピーカーのほとんどが、低音と高音を強調させて
メリハリをつけ、安っぽく下品な音がするものばかりです。
聴く人の感性を馬鹿にしているのではないかと思ってしまいます。
ゆったりと音に親しんだり、微妙なニュアンスの合間に新しい発見が
あるような、音の世界にこちらが入り込んでいきたくなるようなものが
ほとんど見当たりません。
このD-202Aシリーズは、オンキョーの長年のスピーカー作りの技術
の集大成のような製品です。
小型ですがずっしりと重く素材を惜しまずに使う姿勢がうかがえます。
16cmウーハーの2wayスピーカーですが、ウーハーというよりはフル
レンジ(1個のスピーカーで低音から高音まで全て出す)に近い動作
で、音の自然なつながりを実現しています。
高音には絹を使った質のよいソフトドームのユニットを使い、刺激的
でない爽やかで自然な表情を聴かせてくれます。
また、自然素材であるホヤのセルロースを利用して、音の芯の強さ
と落ち着き、微細な表現力を持たせています。
今これを作ったら10万円ではとても無理でしょう。
それがオークションでなら1万円ほどで入手できます。
ただしエッジは経年変化でだめになって、張替えが必要です。
内部も吸音材の交換や電磁波対策をすることで、音のこもりが減り
より素性のよさを楽しむことができるようになります。
改造費込みで2万円を設定価格にしています。
CDプレーヤーは全体のバランスの中では不釣合いなほど高性能
で、コストの割合も高くなっています。
何より音の入り口がよくなければ、いい音は望めません。
内容的には100万円のCDプレーヤーより優秀で音も上回っている
製品です。
基本の製品はパイオニアの25連装(25枚のCDが入りリモコンで自由に
選べる)のPD-F25Aというものです。
カラオケにも使われているメカなので、耐久性と信頼性は抜群です。
内蔵するDAコンバーターは1ビット式で、素直で伸びやかな音が特
徴です。
このCDプレーヤーの素性のよさに着目し改造したのはFIDELIXという
メーカーの中川さんです。
中川さんはSONYで高級アンプの設計に携わった後、STAXというコ
ンデンサー・スピーカーで世界的に有名なメーカーで、大企業には
できない斬新なアンプを開発しました。
そのDCアンプは超高級品を作るメーカーがリファレンスに使うような
優れたものでした。
そして独立してFIDELIXを作り、手作りの高級アンプを提供していた、
マニアの間では有名な人です。
その中川さんがこのCDプレーヤーの改造をしたのはまずクロックとい
れる部分の交換です。
クロックは人間で言えば心臓にあたります。
これがちゃんと動作していないと、音が不安定で浮ついたものになり
ます。
通常はジッターという雑音成分が多く発生していて、それが音に混
入しているので、一般的にCDの音はうるさく、落ち着いて聞けないも
のが多いのです。
また電源は人間で言えば足回りになりますが、電流供給するダイオー
ドにショットキーバリア型に交換して、パワフルでノイズの少ない音に
貢献しています。
クロックは、回路技術者としては世界でも有数の中川さんが設計し、
製作したものです。
クロック交換を他に依頼すると、これほど優秀でないものを使って、
5~10万円位請求されます。
新バージョンはオペアンプという主要部品のグレードアップで、音質が
さらに細やかになりました。
しっとりと潤いまで感じられるより生の音に近いものです。
この製品では交換済みのものが6万5千円という手の届く価格になって
います。
さらに晴屋で電磁波対策と振動対策を加えることで、音により落ち着
きのある表情が感じられるようになっています。
CDの音にどうしても満足できない人、LPの音に近い自然でふくよか
で奥行きのある音を望む人たちにぜひおすすめしたいCDプレーヤー
です。
私は昔から、アンプが好きでした。
もちろんスピーカーやカートリッジも好きですから、ステレオが好きという
こともあるのですが、アンプには特に愛着を感じます。
それは多分に、私にとってはブラックボックスで、中がよくわからないか
ら、神秘性を感じて惹かれているのかもしれません。
カートリッジは磁石とコイルで出来ていて、どちらかが動くことで発電し
電気信号をアンプに伝えます。
反対にスピーカーは、アンプが増輻した信号で磁石に隣接したコイ
ルを動かしそれに付いているコーンという振動板から音を出します。
数十年変わらない、感覚的にもわかりやすい世界です。
だからアンプは個性を持たずに、入ってきた信号をそのまま大きくす
ればいいのですが、それが意外に難しく、質が変わったり、個性を持っ
たりします。
部品の違いや回路の良し悪し、それだけではない様々な不思議な要
素で音が変わります。
それが機械的でなく、なんとも面白いのです。
ちなみに私は黒いメカニックな雰囲気のものはだめで、つまみが少なく
シンプルで繊細な雰囲気を持ち、音は緻密で切れ味があってしかも
うるさくない上品なものが好みです。
こういう好みは多くの人は、食べ物や異性や文学的な嗜好や生活観と
も共通しているようで非常に興味深いものがあります。
さて今回この組み合わせにおすすめしようと思うのは、2機種あります。
一つはオーディオ用としては入門的な扱いのアンプなのですが、昔
から定評のある少し小型のアンプでDENONのPMA390SEです。
私も初代のPMA390を使っていました。
小ぶりでも素直でしっかりした音調でかなり気にいっていました。
これはそれから数代後のかなり改良を加えた製品です。
音は初代に比べて、よりクッキリと力強いものになっています。
放送局で使っているカートリッジにDENONのDL-103という有名な製
品がありますが、それを思わせる厚みと輝きのある音です。
多くの人に受け入れられるのも分かります。
定価は45150円ですが、晴屋の設定価格は35000円になってい
ます。
もう一機種は、私の自宅や枉駕のホールでも使っているものです。
ONKYOのA-1Eという製品です。
十年以上前の製品で、今は当然作られていません。
ですからオークションで中古の製品を手に入れるしかありません。
保障も付きません。
それで第一候補にはできないでいます。
薄型でつまみが少なく瀟洒な雰囲気、中身ははぐっと詰まっています。
とても大きなメーカーが作ったとは思えないような、量産やコストを度
外視した贅沢なつくりです。
ONKYOの長年の技術を集大成するとともに、通常マニアが自分の
ためだけに組み立てるとき使うような高精度の測定機用の部品などを
使った、手作りの製品です。
オーディオ産業が衰退しかけた時、最後の最後に技術者がやりたいこ
と、やれるだけのことの全てを注ぎこんだ製品のような気がします。
音はリアルなのに穏やか。
うるさい音は全く出ませんが、細やかな表情まで全て感じることができ
ます。
その当時の定価は18万円でしたが今作ったら50万円ではとても無理で
しょう。
そんな製品がオークションでなら、5万円以下で買えます。
私には奇跡的なこととしか思えません。
保障が無いため故障の可能性がゼロではありませんし、ガリボリュー
ムの心配もあります。
しかし私の知っている数人のユーザーで問題は起こっていませんし、
ONKYOはサービスの体制がしっかりしているので、ケアはいくらでも
出来ます。
個人的な音楽の楽しみの強力なアイテムとしてぜひおすすめした
い製品です。
晴屋では内部に電磁波対策をしてよりクリアな音にしてお渡しします。
このシステムにはコストの都合で使えませんが、私のもう一つのアン
プもご紹介します。
前述のCDプレーヤーを製作したFIDELIX の中川さんによるもので、
CERENATEという名の小型のアンプです。
つまみも電源とボリュームの二つしかありません。
価格も定価147000円(晴屋価格14万円)と他と比べれば高価でか
すが、内容は一段と濃く、驚くほどのリアリズムを感じさせます。
他の装置の欠点や録音のあらまでもあばき出します。
音楽を楽しむと言うより、音に向かいあい厳しく見つめるためのアンプ
といえます。
オーディオ派にも、音楽派でも、超マニア向けのアンプです。
こういうものも世の中にはあります。
このシステムにおすすめのケーブルについてもお伝えします。
ケーブルは信号を伝えればいいのですから、音質に違いが出ては
困ります。
しかし実際その差は大きく、アンプを交換したほどの差が出ることもあ
ります。
そのことを世に示したのはオーディオ評論家の江川三郎先生でした。
しかし一度違いが認知されると妙に凝ったものが出回りはじめ、ごたご
たとしてやたらと太くごっつく高価なものがいいような風潮になって
きました。
江川先生はそれにも疑問を持ちすっきりとしたシンプルなものを自
分の工房から発売しています。
金コロイド・ナノ・ケーブルは本当に素晴らしく、これ以上のケーブルは
私は知りません。
音にくすみがなく、ぱっと立ち上がり、余分な響きが付かずに消えて
いきます。
音の純度が桁違いに感じます。
しかしスピーカーケーブル、RCAピンプラグケーブルそれぞれ2万円
前後と高価なためこのシステムにはどうしても収まりません。
それで私が江川工房から線材を仕入れて、自作しました。
仕上がりの美しさは江川工房に負けますが、性能は変わりません。
設定価格はスピーカーケーブル、RCAピンプラグケーブルどちらも1万
円です。
以上が今度おすすめするシステムの全ての構成要素です。
CDプレーヤー65000円、アンプ45000円、スピーカー20000円、SPケ
ーブル10000円、ピンケーブル10000円で総計150000円ですが、セッテ
ィング込みで135000円でお渡しします。
アンプがDENNONの場合は1万円安くなります。
これはあくまで標準で今手元にあるシステムを生かしながらの改良もで
きます。
ご質問は晴屋、松橋までお寄せください。
このシステムは今、晴屋の店頭で鳴っていますので興味のある方は
買い物のついでに耳をそばだててみてご視聴下さい。

晴屋の青い扉 その19 音楽とオーディオの睦言

オーディオのことを書くのは、もう止めようと思っていた。
「本業がおろそかにならないように!!」とハンマーで釘を刺されてい
たし、正直言ってほとんど利益にはならない。
最初から、そんなに売れるものでも、儲かるものでもないのは分かっ
ていたが、生活に馴染む道具としてのオーディオの姿を形にして、
提出してみたかった。
だから、技術的レベルも高く、様々なノウハウを盛り込んだ製品なの
に、その事にはほとんど触れずに、ただ置いて、聴いて判断してもら
っていた。
「ステレオの音の違いが分からない」と言っていた人が、「今まで、
つまらないと思っていたCDを聴いて感動した」と言ってくれた。
男の妄想や理屈で作り上げた普通のオーディオ装置の良し悪しには
興味がもてないけれど、音の違いが分からないのではなく、本当に
いい音に出会えば感じることも多いのだ。
私の家にいた猫のことを思い出す。
その猫は野性的で面白い猫だったけれど、ただ一つ気に入らない
のは、ギターなどの楽器の音にとても反応してすぐ逃げ出すのに、
ステレオでいくら大きな音を出しても、知らん顔なのだ。
そんなもの本物じゃありませんよ、と言われているようで悔しかった。
女性にはその感覚に近いものがあると思う。
けれど、今回紹介しているソニーSRS-Z1しゃちょーバージョンは、
かなり生に肉薄し、生活に溶け込む道具としてもスグレモノと思う。
そして、店での試聴を繰り返すうち、男性達も次第に興味を持ち
始めた。
そうすると、どうしても理論的な説明も必要になってくる。
何度も話すのは大変だし、時間的にも限界があるので、今回一気に
書いてしまおうと思う。
オーディオと音楽の関係に興味のある人だけ、お読み下さい。
まず、オーディオ装置は音を「再生」するためにあるものだ。
シンセサイザー等の電子音を除いて、マイクを使って音を拾う。
広いコンサートホールでも、2本のメインマイクの間隔は1~2m位が
普通だ。
決してホール全体の音を録音しているわけではない。
それも一つのマイクの口径は、1~2cm。
その小さな空間を通過する音という振動を、電気信号に変えて増幅
し、記録する。
その記録されたものを、私達は「再生」して愉しむ。
CDやレコード盤に記録されたものを、再び電気信号に変えてアンプ
で増幅し、スピーカーから音を出す。
まず一番問題なのは、スピーカーの口径だ。
スピーカが左右各1個の場合は、シングルコーンと言われ、16cmの
口径位が普通だ。
ちょうどマイクを大きくして反対に音を出すような構造になっている。
それでも、マイクに比べればかなり大きい。
自然な音が持ち味だが、空間の細かな再生には無理があるし、低
音も高音もどうしても不足しがちになる。
それで、通常は2個の2way、3個の3wayのスピーカーシステムに
なる。
低音用は大きいものは38cm口径位になる。
多ければ多いほど、大きければ大きいほど高級と思われている。
しかし、本当にそうか?
スピーカー大きくなればなるほどに、分割振動というコーン紙(振動
板)の暴れた動きが出てくる。
それを止めるためには、コーン紙を固く強くしてやればいい。
けれど、そうすると今度は重たくなって、細やかな動きが出来ない。
コンサートホールのPAのような大音量用のスピーカーは、小さな音
は苦手で、歪んで大げさなものになってしまう。
そうした音に慣れ、それがいい音だと思っている人もいるが、それは
好みの問題だ。
本当にいい音ではないことは確かだ。
女性で言えば、アクセサリーを多用し、香水の匂いもきつく、やたら
とジェスチャーが多いタイプだ。
どうぞご自由にという感じだ。
私の好みというより、本来の姿は、内面の美しさを素顔や色付けの
無い表現ですることだろう。
小さなマイクで拾った音は、小さなスピーカーで再生する。
それが原理的に言って正しい再生の仕方だ。
大きな振動板のスピーカーで出した音は、低音の量感はあっても、
無理やこじ付けがある。
その鈍さを補うために、威圧的な低音や、高音の派手な表情付け
をしているとも言える。
私がお奨めしているSRS-Z1は、ただ小さいというだけではない。
コーン紙には、バイオセルロースという高密度の素材を使い、共振
を無くし素直な音を実現している。
磁石もエネルギーの大きいサマリウムを使い、Σ型磁気回路で低歪
で広い周波数での再生を可能にしている。
大きな筆で、細かな部分を書くことは出来ない。
小さなスピーカーは、細やかで切れのある表現が得意だ。
しかし、低音だけはどうしても足りなくなる。
それを補うために口径を大きくすれば、他と同じことになってしまうし、
別のスピーカーで低音を補ってもやはり余分な音が加わって、うまく
いかない場合が多い。
その問題をクリアするのが、二ア・フィールド・リスニングという方法だ。
評論家の江川三郎さんが提唱したこのテクニックは、近接したスピ
ーカーに頭を突っ込むように、非常に近い位置で聴くものだ。
そうすると、そこに忽然と違う空間が現れるのを感じる。
単に音が出ているというだけでなく、演奏の空間が再現され、演奏
家のたたずまいや気持ちまで感じられるようになる。
小さなスピーカーでも、低音が出ていないわけではなく、その音量
が小さいだけなので、、近くで聴くことによって、高音から低音まで
均一に感じられるようになる。
更に、部屋やスピーカーの周囲からの余分な音の反射からも逃れ
て、音の本質にぐっと迫っていく。
けれど、ヘッドホンで聴くような、頭の中に音像が定位するような、
不自然さが全く無い。
その目の前に、ホロスコープで視るようなリアルな空間が再現され
る。
SRS-Z1の優れている部分として、合理的なアンプもあげることがで
きる。
私達が使う音量では、通常アンプの出力はせいぜい1W位だ。
それを50Wとか100Wとかの出力を持つアンプでは、スピーカーの
振動板の大きさと同じで、余分なノイズが増え、微小な音が犠牲に
なる。
Z1は、5Wというほどほどの出力を余裕を持った回路構成と良質の
部品を使って設計されている。
更にアンプの上部に鉄板を仕込んであり、CDプレーヤーの振動
や電磁波の影響を和らげる工夫もされている。
もう一つ、ケーブルについても書か無くてはならない。
SRS-Z1に使われているケーブルは、汎用のもので特に良質という
ものではない。
しかし、これは音が悪い。
いくら信号をきれいに増幅できてもそれを伝えるケーブルが良くなか
ったら、元も子も無い。
ケーブルはある意味、アンプ以上に音が違う。
汎用のものを江川工房の金コロイドのものに変えると、高音のうるさ
さが取れ、すっきりと伸びやかな音になる。
こもった見通しの悪さが無くなり、大きな音がうるさくないだけでなく、
小さな音がより息づいて聴こえる。
見かけの便利さや大きさなど、表面的な分かりやすさが大事にされ
る時代だけれど、本当に生活に馴染むものは、さり気なくて、しかも
飽きずにずっと長く使える。
お金と手間をかけた高級オーディオの世界も趣味として否定する気
はないけれど、特別なものでなく、生活の傍らにいつもある道具とし
てのオーディオが疎かでは、本当に音楽を愉しむことは出来ないし、
芸術も廃れていってしまうだろう。
現代に生きる私達に必要な、合理的で、身の丈の大きさの道具とし
て、SRS-Z1はお勧めできる。
(雑誌にも紹介され50セット以上お届けした愉音シリーズですが、
SRS-Z1が廃盤になり、現在は注文をお受けしていません。発展型
としてシャチョーのシステムとして、普通のコンポサイズのものを扱っ
ています。)